今川 氏親は駿河今川家7代目当主
文明5年(1473年)父 今川義忠と母 伊勢新九郎(後の北条早雲)の妹北川殿の間に誕生w
幼名は龍王丸で正室は中御門宣胤の娘寿桂尼です!
子に長男今川氏輝(8代目当主)・三男玄広恵深・五男今川義元(9代目当主)等がいますw
…なお誕生年は文明3年(1471年)説もあるんですよ!!
1476年4月6日に父義忠が遠江で一揆に襲われ戦死しちゃいます…家中に衝撃が走ります!!
この時龍王丸はまだ6歳と幼少だったんで一族の 小鹿範満と当主の座を争うお家騒動が起こります!!
叔父伊勢新九郎(後の北条早雲)が仲裁に入り範光を龍王丸の後見人とするけど
龍王丸が15歳になっても範光は家督を譲る気配が無かったんで新九郎に彼を討たせます!
長享元年(1487年)11月9日伊勢新九郎は突然駿府館に攻め入り範満一門は自害します…
その功として新九郎に 興国寺城を与え龍王丸自らは元服して 氏親と名乗るんですw
この争いを「文明の内訌」と言いますw
内政では明応年間の頃から駿河国内で 検地を始める一方外征では掛川城を拠点に 遠江侵攻を進め
侵攻を正当化する為1508年には遠江守護職をもらい受け1517年についに完全平定に成功
三河や 甲斐にも兵を進め 東三河にまで勢力を伸ばすんです!
伊豆堀越公方では内紛が起こり機に乗じた氏親は叔父伊勢新九郎に堀越御所攻略を命じるんです!
堀越一門を滅亡させた伊勢新九郎は韮山城を築き伊豆一円を手中にし
さらに小田原を攻めてついに相模国を制圧していくんです!!
また様々な産業の振興が挙げられるけど特に安倍金山の開発が代表的ですね!
それまでの金採取は砂金中心であったけどこの頃は金鉱石を坑道を穿ち採取する工法になり
金産出量が飛躍的に増えたんですね!!… この金が今川家隆盛の元になるんです!!
氏親は薩摩島津家や甲斐武田家・越前朝倉家・周防大内家などと共に
守護大名から戦国大名化を成功させた今川家の中興の祖なんです!!
そしてその具体化したのが1526年4月分国法「今川仮名目録33ヶ条」の制定ですw
この法典は後に 武田信玄が作った 「甲州法度之次第」に深い影響を与える等画期的なものでした!
でも2ヶ月後の大永6年6月23日(1526年8月1日)に没しちゃいます…享年53歳…
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