島津忠義は幕末の薩摩藩の第12代目(最後)の藩主
1840年5月22日(天保11年4月21日)第11代藩主島津斉彬の弟久光の長男として誕生w
官位は従一位で官職は大隅守ですw
伯父島津斉彬の養嗣子となり1858年伯父が亡くなると実父久光に擁され後を継ぐんですw
でも藩政の実権は父久光や西郷隆盛・大久保利通らに掌握され忠義自身は若年という事もあり
あんまし主体性が無かったんですよね……
明治2年(1869年)に長・土・肥の3藩と協力して版籍奉還を進んで行なうんですね…
その後薩摩藩知事となるけど実質的な藩政は西郷隆盛に任せてたと言われてるんです…
明治4年(1871年)に廃藩置県で免官されてますw
明治17年(1884年)華族令施行で公爵になってます!
忠義は犬追物や乗馬を得意とする一方で写真撮影や花火作り等にも興味を持って
とっても趣味が深い人物だったんですよ!
まるこ的には宿敵徳川慶喜と趣味を通じて仲良くなれたと思いますよ!
明治22年(1889年)の大日本帝国憲法発布の当日に忠義は洋服姿なのに“チョン髷”を
切らずにいた事に驚いたとドイツの医学者ベルツは日記に記してるんです(爆)
明治30年(1897年)12月26日に東京にて享年58歳で死去してます…
明治31年(1898年)1月9日には国葬が行なわれました…
現在忠義のお墓は尚古集成館に保存されてます!また深勝園に忠義の銅像があって
お墓は島津氏歴代とは別の場所である常安御墓に葬られてるんですw
画像は幕末期の鹿児島城です…『えっ!?これってお城?』って感じぃですね…
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