九戸政実は南部家の重臣
1536年(天文5年)九戸信仲の嫡男として誕生w
実弟に 南部実親がいて 九戸家はもともと南部氏の一族ですw
九戸政実は武将として優れており九戸家は政実の代に勢力を大幅に広げて
南部宗家に匹敵しそれを凌ぐ程の勢力を築いてたんです!
その立場は南部宗家から自立した大名ではなくその家臣 三戸南部家の家臣(陪臣)だったと
一般には認識されてるけど中央の 室町幕府の認識はあくまでも 独立した大名であり
南部氏と共同歩調を取ってる勢力として九戸氏を見てたんですよ!!
事実1563年将軍足利義輝が室町幕府諸役人の名前を書き出た資料の中にも
南部晴政と並んで九戸政実の名が記入されてたんですよw
以上から九戸氏と南部氏の関係は従来言われるような 主従関係じゃなくて
国人同士の 対等同盟というべきだったんでしょうね!
1569年南部晴政の要請で安東愛季が侵略した鹿角郡の奪取等に協力しその勢力を拡大!!
そんで斯波氏の侵攻に際しても石川高信の支援を行い講和に貢献してますw
1582年南部晴政が病死すると南部氏は晴政の養子信直と実子晴継の後継者を
巡る激しい家督争いが始まる事となっちゃうんです…
晴政の跡は実子晴継が継ぐけど父の葬儀の終了後三戸城に帰城する際に暗殺されちゃうんです…
急遽南部一族や重臣が一同に会し大評定が行われたんですね!!
後継者として南部晴政の養嗣子でもあった 南部信直と
一族で最有力勢力の九戸政実の実弟南部晴政の娘婿 南部実親が候補に挙げられるんですw
評定では南部実親を推す空気が強かったけど 北信愛が事前に 八戸政栄を調略し
結局は南部信直が後継者となる事が決定しちゃうんです…
九戸政実としては恩有る南部宗家を晴継暗殺の容疑者南部信直が継いだ事に大きな不満を抱き暇を願い出て自領へと帰還することとなるんです…
1586年信直に対して自身が南部家の当主であると公然と自称するようになるんです!
このような政実の姿勢は1590年豊臣秀吉の「奥州仕置」後も変化はなくてついに1591年1月南部氏の正月参賀を拒絶し同年3月挙兵しちゃうんです!!
九戸勢はとても強くて南部信直は家臣の日和見もあって苦戦するんですよw
そしてついに自力での九戸政実討伐を諦め豊臣秀吉に使者を送り九戸討伐を要請しちゃいますw
秀吉の命令に従い豊臣秀次を総大将とし蒲生氏郷や浅野長政・石田三成を主力とする九戸討伐軍が奥州への進軍を開始し出羽国から小野寺義道・戸沢政盛・秋田実季・津軽為信・松前慶広らが参陣し九戸討伐軍の兵力は6万人を上回ったんです…
同年9月1日九戸討伐軍は九戸家所領への攻撃を開始します!
怒涛の勢いで迫る討伐軍は翌2日に九戸政実・実親の籠る九戸城も包囲総攻撃を開始!
善戦した九戸政実だったけど抗戦を諦め4日に出家姿で九戸討伐軍に降伏します…
1591年11月6日(天正19年9月20日)豊臣秀次の陣へと引き出された九戸政実・実親兄弟らは“死”を覚悟しており従容として斬首されちゃいます…
そして女子供を含む九戸一族もことごとく斬殺され九戸氏は滅亡しちゃいました…
画像は九戸城址に残る九戸神社です!!当時の巨勢の面影は全く今はありません…
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ううっ。画像をみながら、記事を読んでいたら涙がでそうになってしまいました。あまりに哀れで・・・。
2006/4/6(木) 午後 11:03 [ - ]
九戸政実の潔さにはまるこも感動しましたw九戸政実自身にもう少し欲があれば正直時代は大きく変わってたと思いますよ!【天を衝く】読んでみて下さいな!!でも歴史に『If』は無いけど…長生きして欲しかったまるこの大好きな御仁です (-人-)合掌
2006/4/6(木) 午後 11:19
『天を衝く』。読みます!!そして、泣きます!!
2006/4/7(金) 午後 11:21 [ - ]
ちなみに…実は九戸家はこの後『中野氏』と改姓して代々盛岡藩南部家の重臣として現在迄残ってたんですよ……これは内緒で!!
2006/4/7(金) 午後 11:39
九戸政実に「男気」をかんじました。「天を衝く」読んでみます!
2006/6/18(日) 午前 1:49 [ max_max55 ]
中央から遠く離れた奥羽(東北)でもかなりの名将や猛将がたくさんいたんですよwもー少し中央に近ければ歴史は大きく変わったでしょうね!!
2006/6/19(月) 午前 0:14
九戸南部政実は通称(北の鬼)で三戸南部氏、八戸南部氏には知名度は及ばないですが、優れた猛将です。
2006/12/17(日) 午後 10:04 [ aji*ai7*2*03 ]
コメント有難うございますw九戸政実は大好きな武将です!もっと皆サンに慣れ親しんで欲しいと思ってます!!
2006/12/18(月) 午前 0:36