武田崇信は幕末の高家旗本
戦国時代に諸国大名から畏怖された武田信玄の次男海野信親が祖の武田家嫡流子孫ですよ!!
武田信玄から数えて11代目の当主ですw
文政10年(1827年)実父は武田信典として誕生します!!
養父は武田信之で通称は「采女」といい官位は従五位下侍従・大膳大夫なんですよ!!
嘉永元年(1848年)11月28日将軍徳川家慶に御目見しますw
安政4年(1857年)8月12日部屋住ながら高家見習に召し出されます!
安政4年(1857年)9月28日従五位下侍従・安芸守に叙任し後に大膳大夫に改めますw
安政4年(1857年)10月28日高家職に就くんですよw
安政5年(1858年)11月24日養父信之の隠居により武田宗家の家督を相続しますw
慶応4年(1868年)3月11日には高家職を辞任しちゃうんですよ……
明治維新後に家禄を失って没落します…没年もなんもかんもが不詳で謎なんですよ!!
大正期に下橋敬長の語った高家旗本の話で明治維新後に没落し「他所の二階におるというような」事例であげられてる「武田大膳大夫正四位上左近衛少将」が“武田崇信”と推測されるんです……でも実父信典の官位と崇信の通称を混同しちゃってますwなお崇信は養子信任を迎え武田宗家を存続させたんですよ!
武田信玄の次男竜芳(海野信親)は盲目で出家してたんで武田家滅亡の難を逃れたんですよwその子孫は竜芳の子武田信道が大久保長安事件に巻き込まれて伊豆大島へ流罪する不幸もあったけどその子信正の代で許されて元禄14年(1700年)に幕臣となり高家として仕えたんですよ!その後大正3年(1914年)大正天皇御大典を期に武田信玄が従三位に叙せられた際に海野信親系の当時の当主信保に信玄の位記宣命が渡されてるんですよw以後この家系が信玄に最も近い正統とされ現当主武田昌信サンへ受け継がれ現在に至ってるんですよ!!
ちなみに……武田信玄の5男の仁科盛信の長男信基と次男信貞の家系も徳川旗本として江戸時代を乗り切り2系とも現在も存続してます!!武田信玄の7男の安田信清は姉婿上杉景勝の下へ逃れ後に武田姓に復し代々上杉家に仕えたんですよ!!武田信玄の弟川窪信実の子信俊は家康に仕え旗本となり後に武田姓に復してるんですよ!!!
画像は……武田家にちなんで躑躅ヶ崎館跡です……
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武田家は滅亡してなかったんですね。しらなかったです。
2006/6/12(月) 午前 2:38 [ max_max55 ]
武田家が根絶やしにならなかったのは本当幸運ですよね!
2006/6/12(月) 午後 0:55
海野信親は結構父からも愛されていたようで、それなりの人物だったんでしょう。結局盲目の次男が、勝頼滅亡後の武田家存続させたとは、戦乱の世の縁を感じますね。勝頼について連載記事はじめたのでTBさせてください。引越しが落ち着いたらおこしくださいね。
2006/6/24(土) 午前 2:02
引越前にTBしちゃいまーすw
2006/6/24(土) 午後 11:10
そういう話はどっかで見たことありますね。あまり目立たなかった話ですからね。
2007/10/14(日) 午後 5:15 [ jyunn40002000 ]
戦国大名として滅亡した武田家の後日談って勝者が主となる歴史の中でどうしても埋もれちゃうんですよね…
2007/10/16(火) 午後 0:20