『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

名家のその後(幕末)

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千 瑞翁

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千瑞翁は幕末の茶道表千家の第11代目家元

天保7年(1837年)第10代目茶道表千家家元千吸江斎の子として誕生しますw

号は「碌々斎瑞翁宗左」で幼名を「与太郎」で後に「宗員」を名のり別に「碧雲軒」の号があるんです!

安政2年(1855年)父吸江斎の隠居により18歳で家元となり「宗左」と名のります!!

襲名の後まもなく明治維新をむかえ紀州藩主の禄をはなれまた茶道も衰微しちゃうんですよ…

裏千家の玄々斎・官休庵の一指斎とも力を合わせ千利休以来の家元を守るべく尽力しますw

茶道の復興目指して社寺における献茶奉仕の道をひくんですよw

明治13年(1880年)北野天満宮・北野御旅所において茶会を催してるんです!!

また「明恵小人650年忌」の献茶を栂尾高山寺で催してるんですよw

これらは今日盛んに催される献茶のさきがけだったんですよーw

明治20年(1887年)には京都御所で明治天皇にお茶を差し上げてなす!!

明治20年(1887年)を過ぎる頃から茶道への関心も次第に起こるんですよーw

明治23年(1890年)には「利休居士300年忌」を催したんですよw

明治25年(1892年)に隠居し長男宗員(惺斎)に家督を譲り「宗旦」と名のり

長男第12代目家元惺斎とともに協力して今日の表千家の基礎を作ったんですよ!!

明治39年(1906年)に70歳の時に家元の一部を消失しちゃいます……

明治42年(1909年)には社中や職家の懸命の努力により残月亭などを復興したんです!!

明治43年(1910年)1月に享年74歳で死去します…

 茶の湯の大成者である千利休の没後に千家は第2代目千少庵・第3代目千宗旦と続きます!!第3代目宗旦の息子江岑宗左は第3代目宗旦の隠居に伴い継嗣として不審菴を継承しますw第4代目宗左は千家の直系を継いだんだけど第3代目宗旦は千家の屋敷の裏に「今日庵」を建てて隠居所としたんですよ!!第3代目宗旦の死後に「今日庵」を仙叟宗室が受け継いで独立して“裏千家”が成立したんです!!後にさらに分かれて現在は「三千家」となり今日に至ってるんですよw

 江戸時代には紀州藩の庇護を受けてて第4代目宗左は茶の湯に造詣が深く利休の直系である第4代目宗左を重用した初代紀州藩主徳川頼宣の招きで紀州徳川家に仕えたんですよ!!以後歴代家元は代々紀州藩主に使えたけど第9代目了々斎は化政文化の時代に「数寄の殿様」と呼ばれ風雅を愛し一流の文化人を紀州和歌山に招いた従一位大納言徳川治宝に用いられたんですよw治宝は利休茶道の皆伝を受けるほどで第9代目了々斎の晩年には治宝を家元とし茶事を催したりもしてるんですよ!!現在の表千家表門はこの頃紀州徳川家が建てたものなんですよ!!治宝は第9代目了々斎の後を継いだ第10代目吸江斎に第9代目了々斎から預かってた皆伝を授けたんですよwちなみに紀州で表千家の茶道は藩主から庶民にまで広がり現在でも和歌山県では表千家の茶道が盛んなんだそーですw

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千利休の弟子が継いだと思ってましたが、利休の直系が続いてたんですか...

2006/7/28(金) 午前 0:19 [ max_max55 ]

そーなんですよ!!

2006/7/28(金) 午後 11:10 まるこ


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