9代目市川團十郎は幕末から明治に活躍した歌舞伎役者
天保9年10月13日(1838年11月29日)に7代目市川團十郎の5男として誕生しますw
本名を『堀越 秀』といい生後まもなく河原崎座の河原崎権之助の養子になります!!
天保13年(1842年)父(7代目團十郎)が「天保の改革」に触れて江戸10里四方追放に…
嘉永7年(1854年)8月6日に兄(8代目團十郎)が享年36歳で自殺しちゃいます……
安政6年(1859年)3月23日父(7代目團十郎)が享年69歳で死去しちゃいます……
そんなこんなで「團十郎」を継ぐことを期待されてました!!
明治7年(1874年)についに「市川團十郎」を襲名するんです!!
文明開化の時代にあって従来の荒唐無稽な歌舞伎への反省から歌舞伎の革新を志しますw
明治10年代(1877〜86年)には時代考証を重視した劇に取り組んだんですよw
それは生きた歴史の意味で「活歴」と呼ばれてたんですよw
活歴の興行的失敗で古典的な江戸歌舞伎に回帰し地方のドサ回りに身を落とす体験もしてます…
でも明治20年(1887年)に明治天皇の御前で歌舞伎を演ずる栄誉に浴します!!
外務大臣井上馨邸で行われた史上初の「天覧歌舞伎」で勧進帳などを演じたんです!!
これによって俳優の社会的地位の向上にもつながったんですよw
 歌舞伎座
明治22年(1889年)に東京都中央区銀座4丁目に歌舞伎座が開場されますw
そんで5代目尾上菊五郎と初代市川左團次らとに大いに劇界を盛り上げ「團菊左時代」を築きます!!
歌舞伎の近代化に努め「劇聖」とも呼ばれたんですよw
同時代に名狂言作者河竹黙阿弥を得て数多くの名作を残してるんですよw
5代目尾上菊五郎は明治36年(1903年)2月18日に享年59歳で死去してます…
尾上菊五郎と同年の明治36年(1903年)9月13日に享年64歳で死去してます…
その後「市川團十郎」の名跡はしばらく継がれなかったんですよ……
長女実子の夫5代目市川三升は中年を過ぎてから銀行員から役者に転じたんで芸は大成せず
本人もそのことをよくわきまえてたけど市川宗家をよく守ったんですよ!!
そんで「解脱」「不破」「象引」「押戻」「嫐」「七つ面」「蛇柳」等の廃絶してた歌舞伎十八番を
復活上演するなど意欲的な活動を行ってるんです!!
5代目市川三升が昭和31年(1956年)2月1日に享年71歳で死去します…
その告別式で9代目市川海老蔵が「10代目團十郎」を追贈したんですw
「市川團十郎」は歌舞伎役者の名跡のひとつで市川團十郎家の当主名なんですよw屋号は「成田屋」で定紋は「三升」「杏葉牡丹」なんですよw当代で12代目を数え歌舞伎の名跡のうちではもっとも権威のあるもののひとつとされ全市川姓および歌舞伎市川流の宗家とされてます!!通常は新之助・海老蔵を経て團十郎を襲名することが多いんですw市川家の祖は重蔵の子初代市川團十郎で祖先は甲州武士の出身で後北条家の家臣とされてます!!後北条家の滅亡後は下総国で郷士となり重蔵の代に土地を処分し江戸へ出たみたいなんですよw「面疵の重蔵」・「菰の重蔵」の異名をもつんですよ!!でも……重蔵が非人出身とする説もあってその意味での「お菰(乞食・コジキ)」・「菰の重蔵」と呼ばれたともいわれてんですよ!!
大正8年(1919年)江戸歌舞伎ゆかりの地である東京都台東区浅草の浅草寺境内に「劇聖」と謳われた9代目市川團十郎の歌舞伎十八番「暫」の銅像がありますwこの銅像は近代彫塑の先駆者である新海竹太郎サンの傑作で歌舞伎の象徴として全国の人々から親しまれてます!!
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トラックバックしていただいてありがとうございました。こちらの記事、すごく詳しい解説にびっくり。私の方にも、また遊びに来てくださいね。
2006/8/11(金) 午前 0:59
勝手にTBしてすいません…これからも是非遊びに来て下さいませw
2006/8/11(金) 午後 11:20