『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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近藤 勇五郎

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近藤勇五郎は幕末の天然理心流剣術の第5代目宗家

幕末を駈け抜けた新選組局長近藤勇の甥であり婿養子なんですよ!!

嘉永4年(1851年)に新選組局長近藤勇の実兄宮川音五郎の次男として武州上石原村に誕生w

旧姓は「宮川」で諱は「信休」なんですよw

叔父近藤勇の天然理心流剣術に入門し宮川家の道場で稽古します!!

文久3年(1863年)近藤勇が京都へ出立する際に勇の一人娘たまの許嫁となります!!

その後は松井つね・たま母子と共に生活してたんですよw

慶応4年(1868年)戊辰戦争時に勇処刑の知らせを聞いた勇五郎は板橋で処刑を目撃!!

すぐさま郷里へ立ち帰り実父宮川音五郎と共に板橋処刑場に赴き泣く泣く勇の遺体を

掘り出して持ち帰り宮川家の菩提寺である龍源寺に埋葬したんですよ……

その後つね・たま母子と共に本郷村成願寺に身を隠してたんですよw

明治9年(1876年)近藤たまと結婚して剣術道場「撥雲館」を新設します!

明治16年(1883年)長男久太郎が誕生しますw

でも……3年後の明治19年(1886年)6月28日に妻たまが享年25歳で死去します…

その後国分寺のたよサンと再婚するけど姑つねとの相性が悪くて2年半程で離婚しちゃいます!!

次にかしサンと結婚したんですよ!……なんと「X3」なんです!!

明治38年(1905年)に長男久太郎が日露戦争で享年22歳で戦死します…

昭和初期に小説家子母澤寛(本名:梅谷松太郎)の取材を受けて幕末当時の回顧談を語ってますw

ちなみに子母澤寛(本名:梅谷松太郎)は北海道出身で祖父は彰義隊員だったんですよ!

明治2年(1869年)の箱館戦争に敗れてからそのまま梅谷家は北海道に定住してたんですw

昭和8年(1933年)2月23日に享年83歳で死去してます…

天然理心流は遠江国の近藤内蔵之助が寛政年間頃に創始し江戸に道場を構えたのがはじまりです!!第2代目三助が江戸はもとより現在の多摩地方や埼玉・神奈川まで広範囲に普及させたんですよ!!江戸時代後期に第3代目近藤周助の養子である第4代目宗家近藤勇が京都で新選組を結成した事で知名度を上げたんですw剣術の他に居合術・柔術・棍棒術・気合術を含む総合武術であり技量に応じて入門から切紙・目録・中極意目録・免許と進み指南免許を得ると門人を集め道場を開く事が出来るんですよ!!
現在は近藤勇や勇五郎の生家宮川家の子孫宮川清蔵サンが第9代目宗家道統を継いでます!!
天然理心流公式ホームページ

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池波正太郎先生の「近藤勇白書」を読んだところだったので、勇五郎さんが身近に感じられます。でも×3ってのは初めて知りましたね〜。

2006/9/8(金) 午前 1:06 ゆーくんままま

「近藤勇白書」ってまだ読んだことないんですよ…今度読んでみまーすw

2006/9/8(金) 午後 10:27 まるこ

剣術の腕前は勇と比べてどうだったんですか?

2006/9/13(水) 午後 11:44 [ - ]

一応宗家を継いでるくらいなんで……でも勇の方が実戦慣れしてた分強かったと思いますよw

2006/9/14(木) 午前 0:09 まるこ


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