山科言縄は幕末から明治の公卿
天保6年6月20日(1835年7月15日)権中納言山科言成の子として京都に誕生w
慶応2年(1866年)3月10に31歳で従三位に叙されますw
明治元年(1868年)閏4月には33歳で参議となりますw
その後は新政府の要職を歴任してるんですよw
明治3年(1870年)閏10月父言成が享年59歳で死去しました…
明治17年(1884年)7月7日の華族令施行により50歳で伯爵に叙されます!
大正5年(1916年)11月6日に東京にて享年81歳で死去しました…
ちなみに3男の言長は分家杉渓家の祖となってます!!
山科家は羽林家の家格を有する公家で藤原北家四条流で家名は京都山科に由来し四条家成の6男実教を祖として平安時代末期に創設されたんですよ!!家業は装束・衣紋で江戸時代には高倉家(藪家)とともに装束色目を担当してるんですよw江戸時代の家禄はたった300石だったんです!!
戦国時代の山科言継は日記『言継卿記』を著してます!!『言継卿記』は戦国時代の京都を中心とする畿内の情勢を知る上で必要不可欠な一級史料として知られてます!!
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