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名は「計(かず)」で号は「翠香院」なんですw 京都三本木(現京都市上京区三本木通)の芸者「幾松」としても知られてますよね! 実家である木崎家が生活苦になっちゃったんで公家サンの九条家の諸太夫の難波家 次男難波恒次郎の養女となるんですよ!! でも養父恒次郎が享楽に耽り遊ぶ金が底をついちゃったんですよ…そんで三本木の芸者にさせられ「2代目幾松」を名乗らされるんです!そんなこんなで文久元年(1861年)頃に桂小五郎と出会ったみたいですよw元治元年7月19日(1864年8月20日)の「禁門の変」以降は長州藩が朝敵とされて幕府に追われる身となって隠れ潜んでた桂によく握り飯を持ってったみたいですw それとか新撰組局長近藤勇に桂の居場所を聞かれた事もあったみたいなんです… 木戸家は義妹治子(夫孝允の実妹)と来原良蔵との間に生まれた次男孝正が継いでますw |
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「新撰組局長近藤勇に桂の居場所を聞かれた」か、かなり、きわどい時をあったんですね。
2006/10/17(火) 午後 10:29 [ - ]
京都の芸子サンだけに「知らんどすえ」とか言ってノラリとかわしたんでしょうね…(笑)
2006/10/18(水) 午後 7:15
幾松サン、アッパレですね♪でも、晩年の桂は欝っぽかったらしいので、大変だったでしょうね。
2006/10/18(水) 午後 8:07
そうですね…盟友の西郷の事とか難題山積でしたからね…
2006/10/19(木) 午後 11:52
西郷隆盛が起こした西南戦争を予言したのは木戸孝允がスカウトした村田 蔵六(のちの大村益次郎)なんですよ。
2006/11/5(日) 午後 5:49 [ kag*tor*15*9200* ]
でも…「武断⇒文治」は世の常なんでしょうね…西郷サンとはやっぱし根本で違うものがあったんでしょうね…起るべくして起きたのが“西南戦争”なんでしょうねw
2006/11/7(火) 午後 2:49