|
万延元年(1860年)3月29日天然理心流次期4代目近藤勇とお見合結婚したんですw つねはあんまし美人じゃなくて勇によれば「だからこそ妻に選んだ」んだそーですw 文久2年(1862年)に長女たまを出産しました… 勇が試衛館で道場をやってる頃に ――― つねが勇の為にドクロの刺繍を施した稽古着を作ってプレゼントしてますw その稽古着は今は東京都町田市にある小島資料館に現存してます! 文久3年(1863年)に夫勇が浪士組として上洛して新選組を結成しました! その間留守宅を任されたけどよく義兄音五郎に愚痴を綴った手紙を書いてたみたいですw 慶応4年(1867年)1月3日の鳥羽伏見の敗戦で江戸へ海路帰還する事になった勇は 船中幕臣榎本対馬に向かって ――― 「京都へ行く時はもう2度と妻子には会うまいと決心してたものを今こうして帰る事になって妻子に会えるかと思うと嬉しいような気持ちです…全くお恥ずかしい」と語ってたと言います…またこの時土産として“銀の指輪”をつねへ渡した事が伝わってます!でも残念ながらこの指輪は現存はしてないんですよ… 慶応4年4月25日(1867年5月17日)戊辰戦争のさなか夫勇は斬首になっちゃいます…つねは娘たま(6歳)と婿養子宮川勇五郎(17歳)と共に本郷村成願寺に身を隠します!!維新後は義兄(勇の兄)宮川音五郎の元へ身を寄せて暮らしたんです… |
幕末の女性
[ リスト ]



大河のイメージが強くて、勇に浮気されちゃうのに我慢するはかない女性のイメージだったんですが。 なんだかいい感じです。
2006/10/21(土) 午前 10:48
どんな人でもやっぱしグチを言いたい時もあるんでしょうね…でも近藤勇もつねサンの事を大事に想ってたんですよねw
2006/10/21(土) 午後 11:52
たった、2年間の夫婦生活。しかも、残された道場や養父母の世話を1人で切り盛りしていた、気丈な女性ですね。ツネさんの波乱にとんだ人生を思うと、京都にいた近藤さんに『浮気すんなーっ!』と言ってあげたい・・・
2006/10/30(月) 午後 11:20
ツネサンは勇の「影」に徹したんでしょうか…でも勇もツネサンの事は大事に思ってたんですよね…
2006/11/7(火) 午後 2:44
つねさんのこの写真を見たときに「言われてるようなヒドイ顔じゃない」と思いましたよ。最後まで近藤勇の妻として生きた立派な女性ですよね。
2006/11/11(土) 午後 5:33
ツネサンは意外と可愛い感じですよねw
2006/11/27(月) 午後 7:04