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本名は嘉村権太郎とも言います! 平成15年(2003年)の日本映画『壬生義士伝』(監督:滝田洋二郎)で中井貴一が演じました!!文久3年(1863年)に23歳で江戸行きが叶い北辰一刀流の玄武館に入門しますwこの頃の道場は「国事を語る場」でもあり貫一郎は尊皇攘夷の思想に傾倒してっちゃいます! 慶応元年(1865年)に25歳で脱藩しちゃうんですよ… 貧しかった貫一郎は五人の家族を憂います… 慶応元年(1865年)当時天下に勇名を馳せてた『新選組』に入隊します! 文武両道の才を買われて諸士取扱役兼監察・撃剣師範に抜擢されるんですよ!! 慶応3年(1867年)に新選組が幕臣として取り立てられるんですよ!! 貫一郎は“見廻組並”の格式を賜ったんですよ! この時に田舎の家族に充分な仕送りが出来ると感激して泣いてたんです… 撃剣師範に就いてたけど表立った斬り合いの記録は少ないんですよ!! 八木邸(画像)屯所移転について西本願寺に交渉しに行ったりとか三条制札事件の詫びを 目的とした土佐藩の饗応に貫一郎が出席したりしてるんだけど天満屋事件で三浦休太郎 の護衛の任についてた時には特に貫一郎が斬り合った記録はないんです… どちらかと言えば論客として活躍してたんですよw 慶応4年(1868年)1月の鳥羽・伏見の戦いの敗走中に貫一郎は隊と離れ戻れなくなります…数日後に新選組が大阪を離れた事を知った吉村は路頭に迷い盛岡藩邸に帰藩を願うんです…でも…「武士にあるまじき行為と」咎められ切腹を申し付けられちゃいます… 慶応4年1月3日(1868年1月27日)に大坂の盛岡藩邸中で享年28歳で切腹します…切腹した部屋には2分金10枚と紙切れが置いてあったんです…そんで紙切れには家族への送金を願う文が記してあったんらしいです… 上記の吉村の所伝の多くについては作家子母澤寛の創作みたいですよ! 浅田次郎著の歴史小説『壬生義士伝』は子母澤の創作を元にして書かれたものなんですw
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壬生義士伝、視ました。よかったですね、でも十二時間ドラマでも放映されたそうですね。知り合いが持っているそうですので、視るつもりです。
2007/2/5(月) 午前 0:14 [ 源 晴俊 ]
浅田次郎先生の『壬生義士伝』は泣けましたね。小説では28歳じゃなくもっと高齢だったような記憶があります。
2007/2/6(火) 午前 2:46
新撰組は近藤とか土方・沖田あたりが主人公ってのが多いですよねw確かかなーりの年齢のはずですwちなみに12時間ドラマでは渡辺謙サンが演じてましたよねw
2007/2/27(火) 午後 5:49
ドラマも映画もどっちも泣けました。記事を読んでいたら、また目頭が熱くなってきました。創作でも、いい話だなぁと思いました!
2007/7/16(月) 午後 9:31 [ - ]
確かにそうですよねwもっと脚光を浴びても良い人物って実はもっといぱーいいるんですよね!!これからも是非アプしてきますw
2007/7/17(火) 午後 1:15
訪問&コメント、ありがとうございました。切ない話でしたね・・・あの時代では仕方なかったんでしょうか。
2007/8/2(木) 午前 7:28
尊王攘夷は当時の流行だったんでしょうね…天下泰平の世の中では立身出世の望みはなくても動乱期にはそのチャンスもあったでしょうし…本当に切ない話ですよね!ご訪問&コメありがとーございますw
2007/8/2(木) 午後 11:30
初めまして。
今日高松の池に行って来ました。
いい天気でしたよ。
2008/10/14(火) 午後 7:59
DEPENEWサン>初めましてwご訪問&コメ有難うございますw
2008/10/17(金) 午後 9:41