『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

名家のその後(幕末)

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伊藤 博邦

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伊藤博邦は明治期の華族で政治家

明治の元勲で初代内閣総理大臣伊藤博文の息子(養嗣子)なんです!

明治3年(1870年)に山口県で士族井上五郎三郎(井上馨の実兄)の4男として誕生w

幼名は「勇吉」なんですよw

維新の功労者伊藤博文と梅子夫妻の養嗣子となります!

ドイツに留学したりして一生懸命勉強しますw

明治18年(1885年)に養父博文が初代内閣総理大臣に就任します!

明治20年(1887年)4月20日養父博文夫妻主催で仮装舞踏会が行われます!

明治25年(1892年)に帰国して宮内省に出仕します!!

そんで式部次長・主馬頭・式部長官を歴任します!

明治37年(1905年)11月の第二次日韓協約で養父博文が初代韓国統監に就任します!

明治39年(1907年)9月21日これまでの功績で養父博文が公爵となります!

明治42年(1909年)10月26日にハルビン駅で養父博文が享年69歳で暗殺されます…

明治43年(1910年)11月4日に養父博文の国葬が営まれます…

そんでその後を受けて家督を相続し公爵になり貴族院議員にもなったんです!

貴族院議員を辞職後は日本銀行監事・生活改善同盟会長・厳島保勝会総裁を歴任しますw

大正13年(1924年)東京にて養母梅子が享年76歳で死去してます…

昭和3年(1928年)11月京都御所にて昭和天皇の「即位の大礼」が行われます!

その際に式部長官として奉仕しますw

昭和4年(1929年)に宮内庁を退官します!39年間に渡り宮中で奉職しましたw

昭和6年(1931年)に東京にて享年62歳で死去します…

昭和14年(1939年)からの3年間常陸宮正仁親王殿下や清宮貴子内親王(現島津貴子サン)も伊藤公爵家の別荘独楽荘(画像)で冬期を過ごされ試験場にも来られミカンを転がして遊んだんですよ!第二次大戦後は本宅が空襲で焼失したんで暫く伊藤家の面々はここで生活をされたみたいですw
林家は越智氏の流れを汲むと称してます!江戸時代に林家は代々農業を営んでたんですよ!伊藤博文の父十蔵が伊藤家の養子に入ったんで「伊藤姓」を称するようになったんです!!また『日本の上流社会と閨閥』には「元々伊藤の家は水呑百姓で父親十蔵は馬車ひき等をしてたけど食い詰めて長州藩の伊藤という仲間の家に下僕として住み込んでいるうちに子供のない同家の養子になり伊藤を名乗った!博文は幼名を利助と言い捨て子だったという説もある!!それが武士の端くれから明治の指導者に出世すると家系が気になり出したのか孝霊天皇の息子伊予皇子の3男小千王子が祖先とか河野通有の子孫とか言い出した!…偉くなってからの彼は故郷へは殆ど帰らなかった…昔の素性を知る者には頭が上がらないからである…」と記されてるんですよ!

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