『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

名家のその後(幕末)

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三浦 啓之助

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三浦啓之助は幕末の新選組隊士

幕末期の洋学者佐久間象山とその妾お蝶サンの長男なんですよw

嘉永元年(1848年)に父佐久間象山とその妾お蝶サンの長男として誕生しますw

本名は「佐久間恪二郎」なんですよ!

ちなみに「三浦姓」は義母順(勝海舟の妹)の姓なんですよ!!

元治元年(1864年)に父象山に随身して入洛します!

元治元年(1864年)7月11日に父象山が京都で享年53歳で暗殺されちゃいます…

この時父象山の門弟山本覚馬に仇討ちを勧められ新選組へ入隊します!!

入隊後は局長近藤勇の側近となり他の平隊士よりも丁重に扱われたんですw

でも…次第に父譲りの傲慢さが露わになるんですよ…

そんで芦谷昇達と共に粗暴を働くようになるんです…

だから副長土方歳三や沖田総司からは終始目を付けられちゃうんですよ…

慶応2〜3年(1866〜67年)頃に芦谷と共に新選組を脱走しちゃいます!

でも…それ以前に土方が松代藩への帰藩を促した事もあったんです!

だけど啓之助自身は松代藩への帰藩を拒否してます!!

明治維新後に「恪」と改名します!

そんで「象山の息子」だって事を利用して司法省に出仕します!『親の七光り』です!!

でも…警察と喧嘩を起こしちゃって免職となるんです…

その後は再び出仕し松山県裁判所判事として松山に赴任しますw

明治10年(1877年)2月26日に赴任先の松山にて食中毒で享年30歳で死去します…

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流石によくお調べですね。これだけ海舟の身内とも言える人を面倒見た新選組が、最後に江戸を追われて甲府で惨敗していく様は哀れでなりません。

2007/10/9(火) 午後 9:35 三番隊長

勝海舟も後日談で「俺は瓦解の際日本国の事を思って徳川3百年の歴史も振り返らなかった」って言ってる位ですから…新撰組は駒に過ぎなかったんでしょうか…そんな事言ったら新撰組ファンの方々に怒られますね…

2007/10/11(木) 午後 3:34 まるこ


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