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祖父は幕臣高橋誠種で幕臣川路聖謨は従兄弟です! 幼少の頃にちょっとした事件を起こして江戸に出るんですよ… 従兄弟川路聖謨の父内藤吉兵衛の周旋で甲斐国武田氏家臣の後裔という幕臣の 「窪田氏」の名跡を継ぎ『窪田治部右衛門鎮勝』と名乗りますw 武術に優れてて直参旗本となり幕府の講武所で柔術の教授となります! 田安徳川家の奥詰を務めてた鎮勝は幕府が「尽忠報国の士」の募集して浪士取締役に 松平主税之介が就任した時に中条金之助と共に取締役に任命されます! この浪士組が清河八郎らによるものであり上洛してから近藤勇や土方歳三らの 新撰組が生まれたのはみんな知ってますよねw 浪士組上洛後も鎮勝と中条金之助は江戸に残り期日遅れの応募者への対応を 勤めてたんです……遅刻っていつの時代にもあるんです… 浪士組・新撰組との関係で言うと鎮勝は佐々木只三郎と交流があったんです! 後の御陵衛士篠原泰之進は一時期は鎮勝の屋敷の居候となってます! また「坂本龍馬を斬った男」とされる今井信郎は鎮勝の柔術の弟子です… 今井はその後京都へ行き佐々木只三郎の京都見廻組に入ってます!! 鎮勝は浪士取締役の後に神奈川奉行所の定番役頭取取締の任を経て西国郡代に就任!鎮勝にとり「西国郡代」として豊後国日田に赴任するのは弟鎮誠が家督を継いだ実家の江口家の郷里の近くに戻る事だったです!それに曾祖母の先祖の蒲池氏の地である九州に戻る事だったからかねてより幕府に赴任希望をしてたんですよ!
日田に赴任した鎮勝は蒲池氏の菩提寺の崇久寺に墓参します… また同寺で山門郡塩塚から来た柳川藩士蒲池鎮之と何度か面談した記録が残ってます! 柳川藩士蒲池鎮之の玄孫が歌手松田聖子サンなんですよ!鎮勝は神奈川奉行所に在勤中に学んだイギリス式兵制に倣い幕末には制勝隊を組織し幕府側に立つけど無益な出血を厭い解散してるんですよ!! 攘夷論では鎮勝は津和野藩国学者大国隆正らが唱えた「大攘夷」論の立場にあったんですwこれは単なる攘夷じゃなくて国内統一を行い開国し外国との交易により富国強兵を図ってでも諸外国と対等に対峙出来る国力をつけるべきだという立場だったんです!!明治新政府の政策と同じだったんです!!
明治維新後は他の旗本と同じく徳川宗家当主徳川家達に従い静岡に移ります… そんで「窪田鎮勝」から「蒲池鎮克」と先祖の名跡を継いで改名します!明治11年(1878年)に静岡にて享年70歳で死去します…墓は万象寺にあり「克斎蒲池先生」と刻まれ静岡湾に面して立ってます!またその横に鳥羽伏見の戦いで戦死した息子鎮章の墓碑があります… 父江口秀種は元は高橋誠種の子だったけど江口鎮俊の娘の婿養子となり江口(窪田)氏を継いでます!江口氏は柳川城主で南筑後地方に約12万石の勢力を持った筑後十五城の筆頭大名の蒲池氏第17代目蒲池鎮漣の娘徳子サンと旧大友氏重臣朽網鑑康(朽網宗暦)の子鑑房の子宗壽の次男鎮明の4代後の蒲池鎮康に始まるんです!鎮康は筑後国上妻郡冨重村江口に住み江口鎮康と名のり鎮康の2代目後が窪田鎮勝の父江口秀種になるんですよ!肥後柔術三道場のひとつである江口道場は秀種の次子鎮誠の子孫が受け継いでますw 【西国郡代】は九州の幕府直轄領の民治を司る代官です!その統治領は16万2千石にもなってたんですよ!!代官所は豊後国日田(現大分県日田市)に置かれてましたw西国筋郡代が所轄する天領は全国の天領のうち2位という大きさです!ちなみに…1位は関東郡代(後の関八州見廻役)です!また天領と接する薩摩島津家・肥後細川家・肥前鍋島家・豊前黒田家等の外様雄藩との関係から通常の「代官」より格上の「郡代」とされてました!その任務は長崎奉行と協力して九州諸藩の動静監視であり「九州探題」とも呼ばれたんですよ! |
幕末の名門旗本
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そういえば、ZARDの坂井泉水さんの本名は「蒲池幸子」さんでしたよね。彼女も九州の蒲池一族の末裔とか聞いたような気がします。
2007/9/28(金) 午後 8:03 [ あおれんじゃあ ]
坂井泉水サンは詳細を公表してなかったんで実際蒲池氏一族かどうかも不明なんですよね…それに…福岡県筑後地方(久留米市周辺)には「蒲池姓」が多いみたいですよ♪
2007/9/29(土) 午後 11:14
窪田治部右衛門鎮勝(蒲池鎮克)は、蒲池鑑盛の嫡子の蒲池鎮漣の娘の徳姫(蒲池徳子)の子孫になり、松田聖子(蒲池法子)の高祖父で、崇久寺で鎮勝と面談した柳川藩士(立花家家老格)の蒲池鎮之は、鎮漣の弟で、徳姫の叔父になる蒲池統安の子孫になります。
2008/1/27(日) 午後 0:37 [ hjk*gt*ubnd*s ]
複雑で間違って覚えてたようで…本当に有難うございますwでもとてもお詳しいですね!
2008/1/27(日) 午後 11:12
柳川武士と、松田聖子・・ですね。
2009/2/4(水) 午後 0:04
そうなんです!!
2009/2/4(水) 午後 11:01
蒲池氏は、下野の宇都宮氏の宇都宮久憲が婿養子になるまでは、嵯峨源氏の源融の子孫でした。源融は、紫式部『源氏物語』の主人公である光源氏の実在モデルとされる公家で、従一位大納言です。源融から8代後の源満末が九州に下り、その孫で源平合戦の壇ノ浦の戦いで勲功があり、地頭として蒲池村を所領とした源久直(蒲池久直)が初代になります。
2010/10/5(火) 午後 6:14 [ sch*ie*st_e*ch*zusa*me* ]