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幕府御用鉄砲鍛冶職8代目国友藤兵衛重倫がお父サンなんですよ! 幼名は「藤一」で号は「一貫斎」「眠龍」です! 天明7年(1787年)に9歳で父重倫に代わって「藤兵衛」と名乗ります! 寛政7年(1795年)17歳で鉄砲鍛治の年寄脇の職を継ぐんです! 文化8年(1811年)彦根藩の御用掛となります!! そんで二百目玉筒を受注する事になったんですw 受注金額は450両…現在の金額で約1700万円だったんです! でも国友村の年寄4家は自分達を差し置いての取引に異議を申し立てます! そんで長ーい抗争(彦根事件)に発展しちゃうですよ… 重恭は江戸に召喚され奉行所で取り調べを受ける事にもなっちゃいます… この頃に江戸で反射望遠鏡を見る機会がありましたw 文政元年(1818年)でも重恭の高い技術力が認められ年寄側に勝訴しますw そんで41歳で年寄格に進み幕府御用国友鉄砲鍛冶集団の総代となったんですw 文政2年(1819年)オランダから伝わった風砲(おもちゃの空気銃)を元に実用の威力を 持つ強力な空気銃「気砲」を製作するんですよ! その解説書として「気砲記」を著し後には20連発の早打気砲を完成させます! その後家督を嫡男元俶に譲って天体望遠鏡の製作と天体観測に勤しんでますw 天保3年(1832年)頃からグレゴリー式反射望遠鏡の製作を開始します!! 当時日本で作られてた屈折望遠鏡よりも優れた性能の望遠鏡でした! 口径60mmで60倍の倍率の望遠鏡だったんですw 同時代の英製同形式望遠鏡の2倍の倍力を持ち像も鮮明と言う高評価を得てたんですよw 後に天保の大飢饉等の天災で疲弊した住人の為に大名家等に売却されたんです… 国内に4台現存し上田市立博物館や彦根城博物館等に保管されてるんですよw その他に玉燈(照明器具)や御懐中筆(万年筆・毛筆ペン)とか鋼弩・神鏡(魔鏡)など数々の物を 発明し作り出したんですよw 天保6年(1835年)に自作の望遠鏡で太陽黒点観測をかなーり長期に渡って行い 他にも月や土星とかのスケッチも残してます!! 日本の天文学者の先駆けの一人なんです!
天保11年(1840年)12月3日に国友村にて享年63歳で死去します…ちなみに…明治に入り直孫11代目国友藤平能恭以降は鉄砲鍛冶を廃業しました…【国友藤兵衛家】は戦国時代より日本有数の鉄砲の一大産地となってた近江国国友村(現滋賀県長浜市国友町)で年寄脇(年寄の次席)を勤める御用鉄砲鍛冶の家の一つなんですよ!「辻村家」とも言いますw初代辻村(国友)藤内は美濃国の鍛冶師の出身で永正年間に近江国国友村に移り住んだと言われてます!その跡を継いだ2代目以降の当主の多くが「国友藤兵衛」を名乗ってます!!他の国友鍛冶職人は『重當』の銘を用いるのが通例だけど藤兵衛家のみ『能當』の銘を用いてたんですよ!
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名家のその後(幕末)
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