『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

幕末の外国人

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ヘンリー・ヒュースケンは幕末の駐日アメリカ総領事館の通弁官(通訳)

1832年(天保3年)1月20日アムステルダム生まれのオランダ人ですw

石鹸製造業者ヨアンネス・F・ヒュースケンとヨアンナ・スミットの間に誕生しますw

その後にアメリカに渡り帰化するんですw

1856年(安政3年)に初代アメリカ総領事タウンゼント・ハリスに雇われて来日!

そんでハリスの秘書兼通訳を務めたんですよ!

1858年(安政5年)ハリスが過労で倒れて際に「斎藤きち」を雇ってます!

その間ハリスの代理として幕府と直接交渉を行ってます!

その一方でイギリスやプロシアの対日交渉においてその支援に当ってます!

乗馬が大好きで江戸城周辺を馬で回る姿(下画像)が当時よく見られてますw

1861年(万延元年)1月14日…

プロシア使節宿舎だった芝赤羽接遇所(港区三田)から善福寺への帰途に芝薪河岸の

中の橋付近で攘夷派の薩摩藩士伊牟田尚平・樋渡八兵衛らに襲われちゃいます…

かなりの深手で重体だったんですよ!!手当ての甲斐なく…

1861年(万延元年)1月15日に享年28歳で死去します…

墓碑は東京都港区南麻布4丁目の光林寺(上画像)にあります…

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/3e/6c/me468646/folder/1025983/img_1025983_30044990_27?1190954389 そんで幕府は母ヨアンナに1万ドルの弔慰金を支払って事件を示談にします!

この事態を重く見た幕府は辻番所に外国人保護を訴える標識を立てたり国御用出役の

新設をしたりとか外国人警護に全力で努めたんですよ!!

でも…以後も攘夷派志士による外国公使館や幕府要人に対する襲撃事件が頻発!

幕府の対応全てが弱腰と見られその後の倒幕へと急展開してくんですよ!

1855年(安政2年)から下田に到着する迄の日本に向う南方航路の印象や外交折衝や日本での見聞を綴った『ヒュースケン日本日記(Japan Jounal)』は幕末外交史の貴重な資料となってるんですよ!

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