勝精は大正〜昭和初期の実業家で華族
江戸幕府最後の将軍徳川慶喜の10男で幕末の幕臣勝海舟の養子です!
明治21年(1888年)8月23日に江戸幕府最後将軍徳川慶喜の10男として誕生w
ちなみに…「くわし」と読みますw
元々実父慶喜と勝安芳(海舟)伯爵は仲が悪かったんですよ…
明治25年(1892年)に勝安芳(海舟)の長男小鹿が享年40歳で死去します…
跡継ぎに先立たれた安芳(海舟)はその激しい衝撃に老い衰えてったんです…
そんな中で実父慶喜と勝安芳(海舟)とが和解するんですよw
明治32年(1899年)1月19日に勝安芳(海舟)が脳溢血で倒れます!!
そんで急遽跡継ぎがいない勝伯爵家を憂い実父慶喜が動き出すんですよ!!
華族令で男子の跡取りが無い場合は普通「爵位を失う」事になってました…
そんで死去直前に養子申請をしたんですよ!
明治32年(1899年)1月20日に旧幕臣勝安芳(海舟)伯爵の養子となりますw
明治32年(1899年)1月21日に養父安芳(海舟)が享年76歳で死去します…
法名は「大観院殿海舟日安大居士」です…
また養父安芳(海舟)の最後の言葉は…『コレデオシマイ』なんですよ…
そんで精はわずか11歳で勝家の家督を継ぎます!
でも養子申請手続き上のミスで「爵位取り消しの通知」が届くんです!
その後にミスが解消されて特例として伯爵家としての存続が許されたんです!!
明治32年(1899年)2月9日に伯爵に叙されたんですw
明治35年(1902年)に実父慶喜が公爵に叙され明治天皇との謁見が許されます!
大正2年(1913年)11月22日に実父徳川慶喜公爵が享年66歳で死去します…
実業界に入り浅野セメントや石川島飛行機等の重役を務めたんです!
ちなみに…精の奥サンは伊代子サンと言いますw
でも我侭放題に育った精の勝手に伊代子サンは手を焼いてたみたいです…
そんで伊代子サンは「自分の遺骨は勝と同じ墓には入れないで欲しい」と遺言…
当初遺族はその遺言に従って青山にある勝家の墓地に埋葬したんです…
でも昭和28年(1953年)に養父安芳(海舟)の墓の横に改葬されました…
そんな精は伊代子夫人の死後は水野まさサンを愛人として生活しますw
精は多方面に事業を展開し大成功を収めるんですよ!
でも愛人まさサンと悲しい結末を迎えちゃうんですよ…
昭和7年(1932年)7月10日に享年44歳で死去します…
昭和7年(1932年)7月16日の東京朝日新聞に…
「勝海舟翁の養嗣子愛妾と心中を遂ぐ」という記事が掲載されました…
精の後を長男芳孝が継ぎました!
勝家は徳川幕府では小普請組という無役で小身の旗本だったんです…でも元々天正3年(1575年)以来の御家人であり系譜上勝安芳(海舟)の高祖父にあたる勝命雅が宝暦2年(1752年)に累進して旗本の列に加わったんです!かなり古参の幕臣だったんです!
上画像は実父徳川慶喜公爵で下画像は養父勝安芳(海舟)伯爵ですw共に晩年の写真なんですw
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徳川慶喜の子にして勝海舟の養子って言うとかなりのサラブレットじゃないですか。全く知らない人物です。実父や義父同様に自由奔放に生きた人物なんですね。
2007/11/9(金) 午前 9:14 [ max5-5 ]
実際には養父海舟との面識は無かったんじゃないかなって思うんですw江戸時代でいう末期養子ですからね…
2007/11/11(日) 午後 2:42