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旧名は「後藤五三郎」とその後山田家に養子入りして「吉利」と改名したんです! 養父である先代浅右衛門吉兼の隠居に伴い「第7世山田朝右衛門」を襲名します!! 弘化4年(1847年)に養父吉兼が出家しているので襲名はその前だと思います! 安政5年(1858年)4月から大老井伊直弼による『安政の大獄』が始まります!!そんで多くの尊皇攘夷派・一橋派等の反対派が弾圧されたんです…吉利はこの頃ある意味で大忙しだったんです… 安政6年(1859年)10月7日に小塚原刑場で橋本左内を斬首します!! 同じ日に儒学者頼三樹三郎も小塚原刑場で斬首してます!! 安政6年(1859年)10月27日に江戸伝馬町の獄で吉田松陰を斬首します!! この頃には「死刑執行人」を兼ねるようになってたんです… そんで人々からは「首切り朝右衛門」とも呼ばれてたんです… 吉利は据物斬り以外にも刀剣鑑定に優れてたんですよw だから公儀御用の他に御三家御用とか公儀腰物拝見役も拝命したんです! 公儀腰物拝見役なんて徳川幕府開幕以来【本阿弥家】のみの専任だったんで 先例格式を重んじる当時でも極めて珍しい稀な特例だったんです!! こんな事は歴代山田朝右衛門達にはなかった事で凄く名誉な事でした! だから家譜(「源姓山田家系譜」)に『先祖に先例無き特典なり』と添書きしてますw そんで吉利はこれに伴う扶持米を「先祖より浪人の分にて」と辞退するんです… 元々「公儀御様御用」は幕府公式の役職じゃないんですよ… だから幕府から知行を得てもなかったんで身分はあくまでも【浪人】なんです! 慶応3年(1867年)に大政奉還により本当の【浪人】になっちゃいます… 明治元年(1868年)5月27日市政裁判所から「市政裁判所附」を命じられます! 明治2年(1869年)山田家伝来の名刀「備前長船景光」を宮内省に献上します!} これは楠木正成の帯剣という「楠籠龍ノ太刀」の異名のある稀代の名刀です! 宮内省は奇特な行為として500円を下賜したんですよ! {現在で言うと1000万円程の大金なんですよ! だから献上じゃなくて明治天皇による買い上げと見る説もあるんです!! 明治2年(1869年)に隠居し家督を長男浅雄に譲りますw そんで麹町平河町(現東京都千代田区)の本宅から清水谷上の隠宅へ引越しますw 明治3年(1870年)4月15日新政府は山田家家伝製薬「山田丸」等の販売を禁止!人間の肝臓は人胆丸という高価な漢方薬で専売権を代々許可されてたんです!この副業は本業以上の収益をあげてたんですよ!! 実は…死刑執行そのもので利益を得る事って無かったんですよ…報酬は刀剣の鑑定に対するもので死刑執行は刀剣の鑑定や切れ味の見極めに必要な試し切りと言う位置づけだったんですよ!それに…その刑死体を手に入れる事が出来ればその刑死体で試し斬りが出来るし試し切り1回で死刑執行の代金の10倍以上もの礼金を手にする事が出来たんです!!公儀御様御用は年に1〜2回程度で刀につき10両(現在の26万円程)の手当が支給され年に50両(現在の130万円程)以内だったんですwちなみに刀剣鑑定の手数料は1刀につき金100疋内外(現在の3円程)だったけど後に手数料から礼金へと性質が変わって諸候・旗本・庶民の富豪愛刀家から大きな収入を得てたけど…やっぱし「山田丸(人胆)」の収入が殆どで【浪人】の身でありながら4万石程の大名に匹敵する程裕福だったんです!!
だから「山田丸」等の販売を禁止は山田家の経済面で大打撃だったんです… 明治5年(1872年)の新政府の戸籍編成に際して吉利は隠居のまんま一家を 新たに興して販売禁止の「山田丸」のみを吉利の家へと分けたんですよ! やっぱし大きな収入源を失う事な痛いですよね… でもその金を死んでった人達の供養や貧民の救済等に惜しみなく使ったんですw また代々の山田朝右衛門達が建立した寺院は現在も東京に幾つか残存してますw 麹町区の「除籍簿」には「平民」と記載されてるんですw 明治11年(1878年)紀尾井坂(現東京都千代田区紀尾井町)で大久保利通卿を 暗殺した犯人達の処刑を行ってます!! これを最後に養子吉亮に「第8世山田朝右衛門」を襲名させるんですよ! 明治12年(1879年)1月31日に高橋お伝が養子吉亮に斬処刑されます!! これが結果として『日本最後の斬首刑』となったんです! それと東京都港区白金2丁目7−19にある「正源寺」にもあります… 遺言で葬儀は「勝興寺」で行い遺体は「正源寺」としたからなんです… ちなみに…「正源寺」は実家である後藤家の菩提寺だったんです… 戒名は「天寿院慶心和水居士」です… 「山田朝右衛門」は江戸時代に公儀御様御用という刀剣の試し斬り役を務めてた山田家の当主が代々名乗った名前です!後には死刑執行人(斬首役)を兼ねるようになったんです!山田家では実子でも剣の腕のない者には「山田朝右衛門」の名跡を継がさず養子を立てたんです!!ちなみに…公儀御様御用は幕府の公式の役職じゃないから幕府から知行を得てもなかったんで身分は正式な幕臣じゃなくてあくまでも【浪人】です!! |
名家のその後(幕末)
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「死刑執行人サンソン」(集英社新書)の叫びを思い出しました。
漢方では内臓(生き胆)は貴重な薬種ですが、西洋では「ゲテモノ食い」(珍奇な料理)の趣が強いとみえるのですが、どうなんでしょう。
勉強になりました。
2007/10/12(金) 午後 3:10
本当にそーですよね…漢方で「虎のち○ぽ」とかあるし…「仁丹」って「人胆」から由来してんですかね…今頭に浮かびました!!これからも遊びに来て下さいねw
2007/10/12(金) 午後 3:14
おもしろいですね。
薩摩のヒエモントリ(人の生きギモを食う)という風習が、戊辰戦争で知られますね。
漢方由来なんでしょうか。
ところで、公儀御様御用の「御様」って、なんと読むのでしょうか?
2007/10/13(土) 午前 2:15
やっぱり日本にもそんな習慣があったんですね!!ちなみに…「御様」は「おためし」と読みますw
2007/10/13(土) 午前 8:31
へえ、オタメシですか、ありがとうございます。
薩摩のヒエモントリが、クマソ時代からのか、漢方からなのか分かりません。しかし、「川遊びすると、河童に生き肝を抜かれる」という話がありますね。「ヒトの肝臓を薬用に採るのは、全国で密かにやられていて、漢方辺りの影響ではないか?」と仮定できます。
2007/10/13(土) 午後 6:54
昔はやっぱり「闇」で取引とかされてたんでしょうね…その件を結局は「河童」の仕業って事でウヤムヤにしてた事もあったんtだと今思いました…ちなみに「オタメシ」って絶対に読めないですよね!!
2007/10/14(日) 午前 8:27