『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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蒲生 忠知

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蒲生忠知は伊予国松山藩の2代目(最後)の藩主

慶長9年(1604年)に会津藩主蒲生秀行の次男として誕生しますw

父秀行は利休七哲の筆頭で織田信長の娘婿である蒲生氏郷の長男です!!

母は征夷大将軍徳川家康の3女振姫サンですw

慶長10年(1605年)4月16日に伯父徳川秀忠が征夷大将軍に任官します!

京都で徳川家康が豊臣秀頼との会見を求めたけど淀殿が反対し拒否し続けます!!

慶長10年(1605年)叔父松平忠輝豊臣秀頼が面会します!!

慶長16年(1611年)加藤清正らに守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します!

ちなみに…妹崇法院は豊臣恩顧大名加藤清正の嫡男忠廣のお嫁サンです!

慶長16年(1611年)6月24日に加藤清正が熊本で享年50歳で死去します…

慶長16年(1611年)9月27日にM6.9の会津地震が発生します!!

この地震で会津若松城の天守が傾き石垣の殆どが崩れる大被害が起きました…

その復旧作業等で父秀行は精神的にも肉体的にも疲労困憊の状態でした…

慶長17年(1612年)2月に岡本大八事件が起きます…

慶長17年(1612年)5月14日に父秀行が享年30歳で死去します…

そんで実兄忠郷が10歳で家督を継ぎました!

母振姫が実兄忠郷の後見を勤めたけど母振姫と家老岡重政との間で藩政を巡って

激しく対立しちゃうんですよ…そんで母振姫が祖父家康に泣きついたんですよ!

結果祖父家康の命令で家老岡重政は切腹させられたんです…

これをきっかけに祖父氏郷時代からの重臣の対立等が激しさを増すんです!!

慶長18年(1613年)5月17日に大久保長安事件が起きます!!

慶長19年(1614年)方広寺鐘銘事件が起き片桐且元が追放されます!!

慶長20年(1615年)5月8日大坂の陣で豊臣家が滅亡します!!

元和元年(1615年)祖父家康の命で母振姫が和歌山城主浅野長晟と再婚します!

母振姫は幼い忠郷・忠知兄弟を置いて蒲生家を去っちゃったんです…

元和2年(1616年)4月17日に祖父徳川家康が享年74歳で死去します…

元和3年(1617年)8月28日に母振姫が享年38歳で死去します…

寛永3年(1626年)に22歳の時に上山4万石を与えられます!

磐城平藩主内藤政長の娘サンと結婚してますw

官位は従四位下中務大輔・侍従なんですよw

寛永4年(1627年)2月19日に実兄忠郷が享年26歳の若さで死去します…

実兄忠郷に跡継ぎがいなかったんで本来なら「お家断絶」なるはずだったんだけど

母振姫が徳川家康の娘だったんで「家名存続」が許されたんです!

そんで23歳で蒲生家の家督を継ぐんです!

だけど…会津60万石から伊予国松山藩24万石に減移封されちゃいます…

信心深かった奥サン(正室)の影響で治世は良好だったんですよ!

重臣の対立も収まり寺院の建築や移築を行ったり治績を残したんです!

居城伊予松山城の改修に特に力を注いでたんですw

これで蒲生家も安泰と思われてたんですが…

寛永7年(1630年)再び重臣間の抗争が勃発します!!

この抗争はなかなか決着がつかなくて3年にも及んだんです…

「自分ではどうにも出来ない」と判断し幕府の裁定を仰ぐ事にしたんです!

そんでどうにか事態は解決したんですよw

でも…この時祖父氏郷や石田三成の元で活躍した蒲生郷舎も解雇されてるんです…

寛永9年(1632年)1月24日に伯父徳川秀忠が享年53歳で死去します…

寛永11年(1634年)10月9日参勤交代の途上京都藩邸で享年31歳で死去します…

死因は過労死と言われてるんですよ…

跡継ぎがいなかったんでついに蒲生家は断絶されちゃいました…

忠知の死により近江蒲生氏の系統は断絶したけどこれはタタリが遠因となったっていう噂があるんです!忠知が藩主になって以降跡継ぎが生まれなかったんです…やがて忠知は藩内の妊婦に憎悪を向けちゃって妊婦を捕まえては腹を割き母子共々殺害するという惨劇を繰り返してたと言うんです…この非業の死を遂げた妊婦の怨念で蒲生家は断絶に至ったと伝えられてるんです…そんで松山城内には「まな板石」と言う物が残ってて城址公園となった今でもすすり泣く声が聞こえると言うあくまで【噂】です!
   今回も幕末以外でやってみました…如何なもんでしょうか?実はネタ切れ!!!?
ちなみに…下画像は蒲生忠知本人の肖像画なんですよーw
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何故に幕末以外、と思ったら…納得。でも、限りがありますから、何時かネタ切れになりますよねぇ。これまでよく調べたなと、毎回感心してます!

2007/11/22(木) 午後 9:21 a_jfk_of_kg

別に書庫を作ろうか…なんて考えたりもしたんですが…暫くはこれで凌ごうかと…(笑)

2007/11/23(金) 午後 1:09 まるこ

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蒲生氏は氏郷以来の当主が悉く若死にしてしまったんですよね・・・
祖父氏郷の力で家臣同士なんとか持っていた印象を受けます。

2007/11/24(土) 午前 10:59 [ jir*_*abu*o_*006 ]

お久しぶりです!私もTBしましたぁ♪

2007/11/24(土) 午後 0:11 [ neo ]

当時「人生50年」と言われてたけど本当に早過ぎですよね…氏郷がカリスマ的であっただけに家臣もクセが強い感じの人物が多かったんでしょうね…

2007/11/27(火) 午後 11:33 まるこ

葉月サン>TB有難うございまーすw

2007/11/27(火) 午後 11:34 まるこ

蒲生家は氏郷以降 家中の争いが絶えなかったからなぁ

伊予・松山城は 加藤嘉明が19年かけて築城してて完成まであと一歩で会津に移動なんだよね

そのあと 松山城を完成させるのが 蒲生さん^^不思議な縁

妊婦の腹って 媛は後世の作り話なきがする

関白秀次も同じく言われたし潰された大名に言われるテンプレっぽい感じ

養子でもいいから 続いて欲しかったなぁ(´▽`)

(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆

2009/9/19(土) 午後 9:07 [ - ]

やっぱりどこの大名家でもカリスマ性のある当主がいると家臣団って必然的に個性的な人物が多くなっちゃいますw特に蒲生家はクセの強い家臣が多かったですね!そんでその当主が亡くなると個性のぶつかり合いで家臣団が争い「御家騒動」的になっちゃいますよね…

2009/9/19(土) 午後 11:06 まるこ

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