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藩重臣達は実弟重教に家督を継がす計画だったけど幕府に許されませんでした… 『大名が17歳以下で死去した場合弟がいても家督相続は許されない』 …という大名家督制限令の新宮藩は無嗣改易となっちゃうんです… 寛文10年(1670年)廃藩となった同じ年に主家の岡山藩主池田光政や 鳥取藩主池田光仲らの幕府への運動もあって実弟重教は改めて新宮周辺で 3千石を与えられ大名に準じる交代寄合として家名の存続を許されたんです! それ以後も事実上藩主として統治し続け13代目頼誠の時に明治維新を迎えます! 幕末に至って頼誠は佐幕派の姫路藩酒井家討伐に参加して活躍します! そんで明治新政府に大名への復帰を願い出て岡山藩の援助を受けます!! する事は結局叶わなかったんです… 明治2年(1869年)生野県に編入され新宮池田家の支配は終焉を迎えます… のちに生野県は豊岡県を経て現在兵庫県に編入されています… ちなみに…藩祖池田重利は本願寺総領家坊官で顕如上人執事を務めた下間頼龍の嗣子に生まれ本来の名を「下間頼広」と言うんです!教如上人と争って出奔しその後母親の実家で叔父の姫路藩主池田輝政を頼りその家臣となったんです!頼広はその武勇を認められ慶長18年(1613年)に輝政の嗣子利隆より池田姓と揚羽蝶紋を許され利隆の片諱を与えられ「池田越前守重利」と改名しその後は池田一門衆に序列されてます!!重利は元和元年(1615年)の大坂の陣で戦功を挙げる活躍をし摂津国川辺郡・闕郡で1万石を与えられ大名に取り立てられましたw元和3年(1617年)播磨国揖東郡に所領を移されて新宮藩が立藩したんです!その後寛永3年(1626年)には新宮陣屋が完成しました!
下間家は清和源氏源頼政の玄宗重は孫が祖となりますw承久元年(1219年)頼政の孫頼茂が鎌倉幕府打倒を企てて結局失敗し討たれると宗重も連座して処刑される事となっちゃうんです…だけどたまたま通り掛かった親鸞上人が処刑する事の非を解いたんで親鸞上人が宗重を出家させる事を条件に助命されたんです!!そんで宗重は親鸞上人に深く感謝してその弟子となって東国での伝道に随従します!親鸞上人が常陸国下妻(現茨城県下妻市)に庵を構えた時にこれを記念して宗重は「下妻姓」を名乗りその後これが変化して「下間姓」になったんです!だけど…顕如上人の死後に石山本願寺が東西に分裂すると下間家一族もまた分裂しちゃったんですよ… 上画像は新宮藩陣屋址です!下画像は顕如上人の肖像画なんですw邦照じゃありません! |
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姫路は僕の地元です。佐幕派だったんですね。
初めて知りました。
幕末というと、何かと 薩摩や長州に目が行きがちなものでww
2008/1/20(日) 午後 5:14 [ kag*tor*15*9200* ]
詳しくは「幕末のお殿様」を見て頂けると幕末から明治にかけての大名家の事がわかりますよー!
2008/3/12(水) 午後 4:18
下間の娘は大久保長安の正室だよね
池田家の氏族だから事件の連座を免れ四代まで続いたんだろな
年齢制限あるとは知りませんでした
勉強になりました(*´∇`*)
2009/10/22(木) 午後 9:30 [ - ]
年齢制限はその後「末期養子」が認められたりして緩和してんですよw当時は厳しかったんです!!でも当時西国将軍と迄称された池田輝政一家の力って絶大だったんでしょうね!!
2009/10/22(木) 午後 10:16