小堀政方は近江国小室藩の第6代目(最後)の藩主茶人として有名な大名小堀遠州の直系子孫ですwちなみに…小堀遠州の父正次は大和大納言羽柴秀長の家老を務めてます!遠州自身は若い頃から古田織部の元で茶の湯を学んだんです!寛保2年(1742年)第5代目藩主小堀政峯の7男として伏見にて誕生しますw初名は「小堀政弥」でお母サンは足利藩主戸田忠囿の娘真珠院サンですw 寛延4年(1751年)6月20日に大御所前将軍徳川吉宗が享年68歳で死去します…宝暦10年(1761年)12月16日に父政峯が享年72歳で死去します…宝暦11年(1762年)2月7日に20歳で家督を継ぎます!官位は従五位下・備中守⇒和泉守ですw 天明5年(1785年)伏見元町年寄文殊九助ら7名が政方の非道を直訴します! 当時「直訴」はご法度だったんで文殊九助らは逮捕されます… でも実際に破綻寸前の藩財政と私的な浪費の為に不法に御用金を横領してたんです!!
その総額はなんと11万両にもなってたんですよ! 現在の金額で約55億円にもなる巨額なものだったんです!! 天明5年(1785年)12月27日この件が公に発覚し伏見奉行を罷免されます… ちなみに文殊九助らは獄死してます…この一連の事件は『伏見騒動』と呼ばれてます… 天明6年(1786年)8月25日に10代将軍徳川家治が享年49歳で死去します…すると反田沼派の動きが活発となり老中田沼意次は失脚しちゃうんです…天明8年(1788年)5月6日に伏見奉行在職中の不正を理由に改易されます!! 身柄は小田原藩主大久保忠顕に預けられました… 反田沼派の老中松平定信から親田沼派粛清の対象とされたんです… 文政11年(1828年)に甥政優が300俵を与えられ旗本として再興してますw
遠州流宗家は現在東京都新宿区にあり財団法人として小堀遠州顕彰会・同門組織として茶道遠州会があります!また小堀遠州流は小堀遠州の弟正行に始まる小堀家の分家に伝わる流派で家元は東京都練馬区にあり同門組織は松籟会と言うんですw武家茶道の代表とも言える流儀で紹鴎・利休と発展した質素で内省的な「わび」「さび」の茶道に古田織部を経て遠州独特の美意識を加えた【綺麗さび】と呼ばれる茶風が特徴なんです!古田織部を武家らしい華やかさとすれば小堀遠州はそれに自然な雅やかさを加えたものと言えるんですw 上画像は小室陣屋址です!下画像は藩及び流祖小堀遠州なんですw決して政方じゃありません! |
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スゴ過ぎる55億
浪費って骨董品とか茶器だろうか(^_^;)
この横領事件は田沼を賄賂老中、失政弾劾の絶好のネタだわ
家元として安穏生活なんて不合理(`ε´)
田沼の晩年なんてドン底だったのにぃ(`ε´)
田沼親子政権が続いた江戸時代が見たかったわ(*´∇`*)
松平も水野も大嫌いです(`ε´)
携帯からなんで後日ポチしますm(_ _)m
2009/10/27(火) 午後 8:52 [ - ]
松平定知や水野忠邦は何か固くて融通が効かないイメージがあってまるこも嫌いです!!だけど田沼親子は先見の明がある名君だと思うんだけど…松平定知の陰謀で失脚しちゃうんですよね…田沼政権が続いてたら早い段階で日本も産業革命が起って近代化も進んでたかもしれませんねwでも…鎖国してたら同じかな…
2009/10/27(火) 午後 11:16