徳川忠長は甲斐国甲府藩及び駿河国駿府藩の最初で最後の藩主2代将軍徳川秀忠と浅井長政の娘崇源院(於江与)夫妻の3男なんです!伯母に淀君がいて豊臣秀頼は従兄弟にあたるんですよ!お兄サンは3代将軍徳川家光でお姉サンは豊臣秀頼の奥サン千姫です!慶長11年(1606年)に2代将軍徳川秀忠と於江与夫妻の3男として誕生しますw幼名は「国松」なんですよw ちなみに兄竹千代(後の徳川家光)は2歳年上なんです! 父秀忠や母於江与は病弱な兄竹千代より容姿端麗な国松を寵愛してました! このままだと跡継ぎ問題に発展しそうな勢いだったんです! ちなみに薩摩藩主島津忠恒は忠長を養子にしようと計画した事があるんです!! 慶長19年(1614年)からの大坂の陣で豊臣家が滅亡します!! 竹千代廃嫡の危機を感じた竹千代の乳母福(後の春日局)は駿府にいる祖父徳川家康に実情を訴え憂慮した祖父家康が「長幼の序」を明確にしたんです!
慶長20年(1615年)ついに兄家光が世継ぎに決定します!! 元和2年(1616年)4月17日に大御所徳川家康が享年74歳で死去します…元和2年(1616年)9月に甲府藩23万8千石を拝領し甲府城主となります!家臣団には後に甲斐武田家遺臣や大久保長安配下の代官衆らが加えられます! でも…ずっと江戸にいて実務は代官衆に行わせてたんです!! 元和6年(1620年)9月に兄家光と共に元服し「忠長」と改名しますw 元和9年(1623年)7月に兄家光の将軍宣下に際し従三位権中納言に任官しますw 寛永元年(1624年)7月には駿府藩55万石を領有しますw 寛永3年(1626年)後水尾天皇の二条行幸の上洛にも随行してますw ちなみに…後水尾天皇の奥サン(中宮)和子は実の妹なんですよw 寛永3年(1626年)8月19日に従二位権大納言となるんです! 義父織田信良の父は織田信長の次男である織田信雄ですw 寛永8年(1631年)頃から市中での辻斬りや家臣の手打等の行動が増えます… また殺傷禁止の浅間神社で猿を狩る等の行状も見られるんです… 肥後藩主細川家等の大名の間で「このままでは以前に改易された松平忠輝や 松平忠直のようになる」と噂され出すんですよ… 兄である3代将軍家光からも何度か注意されます… でも懲りなかったんで父秀忠より出仕停止を命じられます!! これを重く見た秀忠側近の崇伝らは父秀忠に赦免を乞うんです! 寛永8年(1631年)5月ついに甲府へ蟄居を命じられちゃうんです… 寛永9年(1632年)1月24日に大御所徳川秀忠が享年53歳で死去します…寛永9年(1632年)5月22日に肥後藩主加藤忠廣が改易されます!!寛永9年(1632年)10月20日に所領を没収され改易を命じられます!! 法名は「峰巌院殿前亜相清徹暁雲大居士」です… 墓所は群馬県高崎市通町の願行山常巌院大信寺なんです… ちなみに…推定で身長は161cm・体重65kgだと言われてます! 子には里見浩太朗主演で人気となったTV時代劇の主人公「松平長七郎長頼」が いると伝えられてるけど実在したかは資料上確認されてないんです… |
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「松平長七郎シリーズ」は大好きでよく見てました。その父親がこの人物だったのですね。とても勉強になります。
2008/3/27(木) 午後 11:11 [ 江戸日記 ]
祖父が好きでよく一緒に見てましたwでも…シリーズを重ねる毎に「決め台詞」の迫力が無くなってくのが幼いながらも思わず笑ってしまってました(笑)
2008/3/29(土) 午前 11:49
松平長七郎シリーズ 実は見てたけど だんだんつまんなくて最終輪まで見てなかった^^
忠恒が養子にしようとするけど 国松が忠長になってからは
忠長の飼っていた猛犬が 薩摩藩士に襲いかかってきて
(将軍の弟をカサに わざと けしかけたらしいです)
薩摩藩士が犬と犬の番人を殺してしまうんです
で 怒った忠長と忠恒が 薩摩藩士を引き渡す 渡さないで大ケンカして
土井利勝が調停して騒ぎを治めた逸話があります
そうとう やりたい放題だったんでしょうね
2代様が生きているうちに 反省して改めていれば 改易は免れたかもなのに・・
ポチです
2009/12/9(水) 午後 2:46 [ - ]
嫡子は早くから生母の元を離され乳母とか養育係がビシバシ「帝王学」を叩き込むんだけど…次男坊は以外と気楽で生母の元で育つから…必然的に生母の愛情を一身に受け我が儘に育っちゃうんですよね…仕方ないにしても…立場が立場だけにやむを得ない結果なんでしょうね…残念!
2009/12/9(水) 午後 11:14