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お母サンは初代藩主本多忠純の娘サンですw お父サンは婿養子なんですよ!! ちなみに…祖父忠純は寛永8年(1632年)12月13日に享年46歳で暗殺されてるんですよ…父政遂は加賀藩家老本多政重の次男なんです!寛永14年(1637年)3月10日に伯父正純が配所の横手で享年73歳で死去します…寛永15年(1638年)7月29日に父政遂が享年26歳で死去します…そんでわずか2歳で家督を継ぎ3代目榎本藩主となるんですw寛永17年(1640年)5月13日に享年5歳で死去します…戒名は「善哲」です…まだ元服もしてないしもちろん跡継ぎもいなかったんで榎本藩は改易になります… 結城氏移封後の慶長10年(1605年)に徳川家康重臣本多正信の3男で本多正純の弟に当たる忠純が榎本城に1万石で入る事で榎本藩が立藩されたんです!大坂の陣で戦功を挙げた忠純は1万8千石を加増され2万8千石の大名となったんですよ!!父正信や兄正純のように目立った人物じゃなかったけど戦国時代の小山氏の旧臣を家臣団として新たに組み込んだり城下町の整備を行なったりと藩政の基盤固めに専念してたんですよ! ★☆★ちなみに…下画像は曽祖父本多正純の肖像画です!決して犬千代じゃありません!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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本多政重というと、一時期直江兼続の養子になっていた人ですね。
この人の生涯も、宇喜多秀家に仕官したり、直江兼続の婿養子に
なったり、最終的には加賀藩の家老になったりと、なかなか
面白い印象のある人です。
2008/4/9(水) 午前 3:26 [ jir*_*abu*o_*006 ]
そうなんですよ!やっぱりこの頃の三河武士には本当に個性的な人物が多いですよねwそれにしても加賀藩は大藩だけあっていろんな人物が利家公を慕って集まって来たんでしょうね!!
2008/4/10(木) 午後 11:22
政重の息子が幕臣だったのは 知ってたけど 幕末まで続かなかったんですね
逸話だと
加賀の家老になって後、家光によって子の一人を五千石の旗本として差し出すように命じられた際
周囲の反対を押し切って長男を出仕させた。
政重曰く「長男は少々抜けておる故百万石の家老には向かぬ。だが将軍家は八百万石、多少の馬鹿を召し抱えても差し支えあるまい。」
となってました
相変わらず前後の事情が 判って無い媛です(*´艸`)クスッ
ポチ
2009/12/20(日) 午後 8:23 [ - ]
やっぱり戦国気風のある御仁は何か一筋縄ではいかないイメージ強いですよね!でも…そうでなきゃ生き抜いてこれなかったんでしょうねw
2009/12/21(月) 午後 4:09