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射ったり鉄砲を撃ったり奇行があったんですよ… 正徳2年(1712年)10月14日に6代将軍徳川家宣が享年51歳で死去します…正徳6年(1716年)4月30日に7代将軍徳川家継が享年8歳で死去します…享保3年(1718年)10月28日に父忠周が江戸田安邸で享年46歳で死去します…そんで兄忠幹が19歳で家督を継ぎ第5代目藩主になるんです!享保8年(1723年)5月10日に兄忠幹が享年25歳で死去します…兄忠幹には跡継ぎがいなかったんで遺言により22歳で家督を継ぎますw官位は従五位下・隼人正ですw 藩主になっても相変わらず酒に溺れ狩猟ばかりし藩政は家臣任せだったんです… 享保10年(1725年)7月27日に大垣藩主戸田氏定の娘サンと結婚しますw 享保10年(1725年)7月28日8代将軍徳川吉宗に結婚報告をしますw その報告の帰りに江戸城本丸大廊下(通称:松の廊下)で偶然すれ違った長府藩次期藩主(後の第7代目藩主)毛利師就に対して刃傷沙汰を起こしてしまうんです!!
すぐに取り押さえられて江戸城内で厳しい取調べを受けるんです… ちなみにこの24年前に同じ場所で浅野内匠頭が同様の事件を起こしてます!! 普段から不行跡が多くて家臣に人気が無かったんで領地を取り上げられて 領地は毛利師就に与えられると思ったので切りつけたと供述してます… 実際にはそんな事実は全く無くて「乱心した」との結論になるんです! その罪により松本藩水野家は改易となっちゃうんです… 享保10年(1725年)8月27日譜代名門にて家名存続を願う声が強かったんで 叔父忠穀に信濃国佐久郡内7千石の相続を許されたんです!! その後身柄は叔父忠穀の江戸浜町の屋敷に移されてそこで蟄居したんです… ちなみに奥サン(正室)大垣藩主戸田氏定の娘サンはたった1日で実家に帰る事になってます… 元文4年(1739年)6月28日に叔父忠穀の江戸屋敷で享年37歳で死去します…ちなみに叔父忠穀の嫡男忠友の代に大名に返り咲いてるんですよ!そんで沼津藩主として明治維新を向かえているんですよ! 【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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水野もたくさん いるから 実は ゴチャゴチャ^^;;
それにしても 変な思い込みしたんだね
一日で 離別の奥方は その後 再婚できたんだろうか^^;
(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆
2009/12/22(火) 午後 9:33 [ - ]
水野家も三河時代からの古参譜代だけに系統が多いんですよ…でも元は徳川家康の生母於大の方のお父サンである水野忠政から枝分れしてるんですよwもちろん宗家は水野勝成の系統なんですよwだけど…奥サンのその後は不明なんですよね…きっと再婚出来たと思いますよ!
2009/12/22(火) 午後 11:16