池田輝興は最初で最後の播磨国平福藩主で赤穂藩の第2代目(最後)の藩主【姫路宰相】と称された姫路藩主池田輝政の6男なんですよ!慶長16年(1611年)1月15日姫路藩主池田輝政の6男として誕生しますw姫路城で生まれお母サンは徳川家康の次女督姫です! 徳川家康の外孫に当たるんで「松平姓」を与えられてますw 幼名は「古七郎」って言うんですよ! ちなみに…この頃父輝政は播磨国姫路藩52万石を領有し姫路城を大規模に改修しほぼ現在の状態としてるんですよ!さらに次兄忠継の岡山藩28万石・三兄忠雄の洲本藩6万石さらに叔父長吉の鳥取藩6万石を合せて一族で計92万石もの大領を有し世に「西国将軍」等と称されてたんです!
慶長18年(1613年)1月25日に父輝政が姫路城で享年50歳で死去します…慶長19年(1614年)10月17日に叔父長吉が享年44歳で死去します…慶長19年(1614年)から大坂の陣が起きます!!慶長20年(1615年)3月3日に母督姫が姫路城で享年51歳で死去します…元和元年(1615年)3月22日に岡山藩主だった兄忠継が享年17歳で死去します…その時に遺領から佐用郡など2万5千石を分与されて平福藩主となりますwでも…まだ4歳だったんで実際の藩政は家臣団が行なってたんです! 元和2年(1616年)4月17日に祖父徳川家康が享年74歳で死去します…寛永3年(1626年)8月19日に従五位下・右近大夫に叙任しますwそんで様々な法令を出して民政安定化に尽力し藩政に手腕を見せたんです!! この頃はまさに『若き名君』として注目されてました! 寛永8年(1631年)7月29日に赤穂藩主だった兄政綱が享年27歳で死去します…兄政綱には跡継ぎがいなかったんで赤穂藩池田家は一時的に改易されます…でも徳川家康の外孫だって事で幕命で特別に輝興が1万石加増の3万5千石で 赤穂藩主となる事を許されたんですよ! 奥サン(正室)は福岡藩主黒田長政の娘サンですが既に義父長政は死去してます… 寛永9年(1632年)1月24日に大御所徳川秀忠が享年53歳で死去します…赤穂藩政では検地や城下町の開発等を行なってます!特に上水道の開発に功績を挙げてたんですよ!! ちなみにこの上水道開発は日本初の水道工事とまで言われてるんですよ! この事業はその後も引継がれのちの赤穂浅野家時代に完成するんですよ!! 寛永11年(1634年)には従四位下を叙任しますw まさに『若き名君』としての絶頂期を迎えてたんですよ!! 寛永14年(1637年)10月25日に島原の乱が勃発します… 正保2年(1645年)3月20日に赤穂藩池田家は再び改易されます… のちに岡山県備前市の和意谷池田家墓所に改葬されてます… 【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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池田家は 輝政以降が なんとも・・・
発狂 突然なにが あったんだろう・・・
長政の娘も 殺されたのか・・・
長政死後で 娘の不幸を知らずにすんだのが せめてもの救い。。。
(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆
2009/12/26(土) 午後 8:32 [ - ]
本当に池田輝政存命の時が浅野家の最盛期だった感がありますねぇ…黒田家も長政以降は若干辛い時期がありましたし…「親の心 子知らず」とは良く言ったもんです…
2009/12/26(土) 午後 11:18
これぞ、豊臣の呪いでしょうな。
池田・黒田・蜂須賀・藤堂と、豊臣に贔屓にされた大大名の大半は、嫡流が断絶したりしています。
蜂須賀と池田は、宗家自体なくなるみたいですね。
逆に、関ヶ原に負けて改易になり、別の大名の家臣となった家の子孫の中には、いい暮らしをしている人もいると、聞いたことがあります。
2011/8/31(水) 午前 11:29 [ 匿名 ]