生駒高俊は讃岐国高松藩の第4代目(最後)の藩主そんでもって出羽国矢島藩の初代藩主でもあるんですよ!豊臣政権の三中老の1人生駒親正の嫡曾孫なんですよ!慶長16年(1611年)に第3代目高松藩主生駒正俊の長男として誕生しますw幼名は「小法師」でお母サンは津藩主藤堂高虎の娘サンですw 慶長19年(1614年)からの大坂の陣で父正俊は幕府方として参陣し遊軍として活躍!! 元和2年(1616年)4月17日に大御所徳川家康が駿府城にて享年74歳で死去します…元和7年(1621年)7月23日に父正俊が享年35歳で死去します…そんで11歳という若さで家督を相続したんです!官位は従四位下・壱岐守ですw 奥サン(正室)は老中土井利勝(古河藩祖)の娘サンです!! 成年しても怠惰で暗愚で政務を重臣に任せ一切放り出してたんですよ… そんで美少年達を集めては遊興に専ら耽っちゃってたんです… 寛永7年(1630年)10月5日に祖父藤堂高虎が享年75歳で死去します…寛永9年(1632年)1月24日に大御所徳川秀忠が享年53歳で死去します…寛永14年(1637年)10月25日に島原の乱が勃発します…寛永14年(1637年)に家臣団の間で藩の主導権を巡り内紛が起こります!! これが世に言う『生駒騒動』なんですよ… このため幕命により高松藩17万2千石は家中不取締りを理由に改易となります… そんで堪忍料として矢島1万石を与えられ出羽国に流罪となるんです… 分割統治されたんです! 寛永20年(1643年)に長男高清が誕生しますw 寛永21年(1644年)7月10日に義父である大老土井利勝が享年72歳で死去します…慶安4年(1651年)4月20日に3代将軍徳川家光が享年48歳で死去します…万治2年(1659年)8月4日に享年48歳で死去します…法名は「自性院芳岩道栄大居士」です…その後を長男高清が16歳で継ぎますが次男俊明に2千石を分知したんで領地は8千石となり 大名ではなく江戸詰交代寄合表御礼衆・柳間詰めとなるんです… その後も交代寄合(大身旗本)として存続し明治維新の際の当主生駒親敬の代で再び大名に復活します!
☆★☆ちなみに…下画像は曽祖父である生駒親正で高俊じゃありません!☆★☆【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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生駒騒動の中身って 調べてなかったので勉強になりました
土井利勝が いたから 完全には潰されずに済んだのでしょうね
ギリギリでも大名復活できて良かったです^^
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2010/2/2(火) 午後 8:18 [ - ]
新田開発等で「表高」と「実高」は結構開きがあったんですよねw例えば…仙台藩は表高63万石だけど幕末期には実高は200万石近くあったと言われてるし…長州藩も表高30万石程ですが…実高は80万石弱あったみたいです…そんな感じで表高を再度検地し直して実高との差を解消する事で石高1万石を超え大名に復活したんです!でも…普通で考えると兵役等が増えて台所事情は厳しくなりんですが…幕末だったからある意味で勝負に出たのかもしれませんねw
2010/2/3(水) 午後 10:16