平岩親吉は上野国厩橋藩の最初で最後の藩主甲斐藩と犬山藩の最初で最後の藩主でもあるんですよw【徳川十六神将】の一人で幼少時から徳川家康に仕えた譜代家臣ですw天文11年(1542年)に三河松平家重臣平岩親重の子として誕生しますw三河国額田郡坂崎村(現在の愛知県額田郡幸田町)で生まれ幼名は「七之助」ですw 天文11年(1542年)12月26日松平竹千代(後の徳川家康)が岡崎城で誕生しますw 天文16年(1547年)に松平竹千代の小姓として先に駿府入りします! 天文17年(1548年)竹千代が今川家に人質に出される事になりますw でも…途中立ち寄った田原城主戸田康光の謀略で織田信秀の元へ送られます… 天文19年(1550年)松平竹千代は今川家に捕えられた織田信秀の庶長子信広との 人質交換により駿府へ移されたんです! 松平犬千代と同い年だったんで今川義元の人質時代から家康に付き従ってますw この時に天野又五郎(後の天野康景)も小姓として一緒にいましたw この時期に同じく人質だった北条氏規とも親交を結んでますw 永禄5年(1562年)に松平元康は織田信長と清洲同盟を結びます! 奥サン(正室)は松平家重臣石河正信の娘サンですw 永禄6年(1563年)松平元康は「元康」から「家康」と改名します! 家康の信任はとっても厚くだから三河統一戦や遠江平定戦等で活躍したんですよ! 永禄10年(1567年)7月に家康の長男信康が元服するとその傅役としてなります!! 天正3年(1575年)に松平信康が17歳の時に長篠合戦で初陣を飾ります! 天正7年(1579年)織田信長が武田家との内通を理由に信康の自害を要求します!! 信康ではなく傅役の自らの首を信長に差し出す事を求めるんですよ!! でも…悩んだ挙句に家康はその長男信康の処断を決断するんです!! 天正7年(1579年)9月15日に松平信康が二俣城にて享年21歳で自害します…その責任を感じてこの後しばらくの間は蟄居謹慎するんです…後に家康に許されて再び直臣として復帰しています! そんで家康の命令で甲府城の築城を開始し甲斐郡代として国内経営に尽力しますw 天正12年(1584年)3月の小牧・長久手の戦いでも活躍しますw 天正14年(1586年)12月25日豊臣秀吉が太政大臣に就任しますw 天正18年(1590年)小田原征伐が始まり後北条家が滅亡します… これを受けて徳川家が関東に移るんです!! 関東移封後に厩橋3万3千石を与えられ官位は従五位下・主計頭です! 慶長3年(1598年)に子供がいなかったんで家康の8男仙千代を養子としますw 慶長3年(1598年)8月18日に太閤豊臣秀吉が享年63歳で大坂城で死去します…慶長5年(1600年)2月7日に養子仙千代が享年6歳で死去します…慶長5年(1600年)9月の関ヶ原の戦いで江戸城留守居役として出陣はしてません!慶長6年(1601年)に甲府国6万3千石を与えられますw 慶長8年(1603年)に家康の9男義直が甲斐25万石に封ぜられます! そんで幼少の義直を後見して執政したんですよ! ちなみに…徳川義直は養子仙千代の同母弟なんですよ! 慶長12年(1607年)に義直が尾張名古屋藩に移封されますw 墓所は愛知県碧南市桑子の妙源寺と愛知県名古屋市東区代官町の平田院にあります… この時跡継ぎがいなかったんで犬山藩領は「義直に譲る」ように遺言してたんですよ… でも…家康は平岩家が断絶するのを惜しんだんです… そんで…その昔親吉との間に生まれたっていう噂のある子供を見つけ出し平岩家の所領を継がせようとしたんですよ!!でも…その子供のお母サンが「この子は平岩親吉の子供じゃない」って言い張ったんで結局平岩家は断絶し犬山藩も改易となっちゃうんですよ…
元和2年(1616年)4月17日に大御所徳川家康が享年74歳で死去します…★☆★ちなみに…下画像は本人の肖像画です!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチしてくれると嬉しいw |
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う〜〜ん もったいないなぁ
親族とか いなかったんだろうか
家康にとっては 今川時代を共有した家族みたいな感じだったんだろうなぁ
(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆
2010/2/28(日) 午後 7:19 [ - ]
昔の彼女は何故「この子は平岩親吉の子供じゃない」って言い張ったんでしょうね…きっとこの頃ってまだ戦国時代の気風が残ってたんで「城主⇒戦い」ってイメージが強かったんでしょうか…だから我が子を危険な目に合せないように…あえての拒否だったかもしれませんね!
2010/2/28(日) 午後 11:26