土井利直は下総国大輪藩の最初で最後の藩主【徳川家康の落胤】とも噂された江戸幕府大老土井利勝の5男ですw【芝増上寺刃傷事件】を起した内藤忠勝の義父ですw寛永14年(1637年)に下総古河藩主・土井利勝の5男として誕生しますw同じ年に父利勝が病気を理由に老中辞任を申し出るけど3代将軍徳川家光に慰留されます! 寛永15年(1638年)11月7日に体調を気遣った3代将軍徳川家光の計いで父利勝が 大老となります! 寛永18年(1641年)に3代将軍徳川家光に拝謁しますw 慶安3年(1650年)に西の丸奥小姓に任じられますw 元々長兄利隆は「坊サン育ち」だたんで父利勝には遠く及ばず無能で暗愚だったんですよ… だから家老大野仁兵衛が注意したにも関わらず素行は改らず大野は諫死しちゃうんです… こんな一連の騒動で土井一族内でも長兄利隆に対する反発が強まってくんです…そんで… 慶安4年(1651年)から長兄利隆の名代として土井本家の古河藩の藩政を任されるんですw でも…まだこの時は14歳なんですよ!! でも14歳で名代となる位だから比較的に父利勝の良い部分を多く受け継いでたみたいですw 奥サン(正室)は岩村藩主丹羽氏定の娘サンで第二婦人(継室)は福井藩主松平忠昌の娘サンですw 慶安4年(1651年)4月20日に3代将軍徳川家光が享年48歳で死去します…万治元年(1658年)9月7日に長兄利隆は家督を甥利重に譲って隠居させられます…その際に甥利重より5千石を分与されて合計1万石の大名となり大輪藩を立藩します! でも…父利勝の功績等を幕府が考慮して分家を継いでた甥利久の次兄利益が家督を継ぎます! そんで土井本家は改易の危機を免れるんです… 延宝4年(1676年)に奏者番に任じられますw この時既に長男と次男は幼くして亡くなってたんですよ… そんで3男一学も生まれながら病弱だったんですよ… だから4兄利房の次男利良を養子に迎えて後を継がせようと考えて一応幕府に届け出たんです! 幕府は「利良養子縁組」の件を一族に相談せずに決めた粗忽なものとします! 延宝5年(1677年)6月に幕府は大輪藩領から5千石を削減します!! このため大輪藩は改易となっちゃうんですよ!! 【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw
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惜しい!
一族に根回しとか する前に倒れたんだね(;^_^A
現代なら死なずにすんだろうに(ρ_;)
西の丸奥小姓だなんて いい部署だわ
奏者番も出世コースのポストだし 長生きしてたらなぁ
家名存続出来て良かったです
2010/3/26(金) 午後 9:11 [ - ]
江戸初期の御用画家って 殿様の肖像を描く時に
なんでも家康に似せて描く判子絵画家だったらしい
土井利勝は逸話が残っているから ホントに瓜二つだったらしいけどね
天下と共に土井を譲ると言われたほどだが息子はアカンかったか〜トホホ
2010/3/26(金) 午後 9:18 [ - ]
西の丸奥小姓になった時点でエリートコースに乗ったと思って間違いないですね!!奏者番になった時点で出世街道まっしぐら確定!!本当に惜しいですよね…日頃から健康には気をつけないと…
2010/3/27(土) 午後 4:46