戸川安風は備中国庭瀬藩の第4代目(最後)の藩主【関ヶ原の戦いで西軍主力だった宇喜多秀家】の重臣戸川達安の曾孫ですwでも曽祖父達安は宇喜多家内紛で出奔して東軍方についてるんですよ!西軍石田三成の家臣島左近を討ったのが曽祖父達安と言われてます!寛文11年(1671年)に庭瀬藩主戸川安宣の長男として誕生しますw延宝2年(1674年)12月27日に父安宣が享年27歳の若さで死去します…延宝3年(1675年)3月23日にわずか4歳で家督を継ぐんですよ!!この時に弟達富に1千石を分与します!! でも…もちろん幼いので安風自身の意志ではなくて重臣達が行った事です!! 当り前だけど…跡継ぎがいるわけがないんで庭瀬藩戸川家は無嗣断絶で改易となるんです… でも…弟達富が5千石に加増される事で家名の存続を許されたんです! 【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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戸川達安という武将も、あの島左近を討ったというのは
凄いですね。あの黒田長政もかなりやばかったようですから。
私も勉強になりました。
2008/9/12(金) 午後 6:36
石田三成も正直宝の持ち腐れですよね…関ヶ原本戦前に島左近や宇喜多秀家・島津義弘の積極策(夜戦)を講じていればその後の歴史は絶対に変わったでしょうね…でも三成自身がその積極策を潰しちゃうんですよね…MOTTAINAI…
2008/9/15(月) 午前 8:25
石田三成は、あまりにも生真面目なのか、戦術には向いてませんね。
戦いは、ずるくないと勝てないでしょう。
2008/9/15(月) 午後 7:32
確かにそうですwこの頃になると「情報戦」や「諜略戦」は当り前の如く頻繁に行われてましたしね!
2008/9/18(木) 午後 7:41
戸川達安の父・戸川秀安には 宇喜多直家の叔父説があるんです
本当は 宇喜多直家の祖父・能家の庶子だけど
当時 すでに孫・直家がいて恥ずかしくて戸川家に預けたって説です
そのせいか直家が 毛利と断交したときに 戸川の息子が人質として毛利に預けられていたのを
毛利と得意の謀略で 戸川の息子を無事に奪い返してます
まぁ備前軍記がソースなので信憑性は低いです^^
戸川記は 読んだことがないので 興味あります^^
(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆
2010/4/15(木) 午後 8:24 [ - ]
戸川秀安の「宇喜多直家の叔父説」知らなかったですw本当にブログやるようになって逆に勉強になってますw
2010/4/19(月) 午後 4:50
戸川は もともと富川だかで(ド忘れ)姓が違うんです
で戸川の母親が 基家・春家(直家の弟)の乳母なの
つてで息子を宇喜多家に仕官させるけど
その前後で戸川姓に改めるんです
研究者の間では 姓を変える必然性が見付からないので
能家庶子だから 変えたんじゃないかって説が 有力視されてます
とはいえ資料が少なすぎて まだ確定は してない仮説です^^
2010/4/21(水) 午後 8:33 [ - ]
宇喜多ネタに関しては本当に保科媛サンは詳しいですよねw感服です!これからもいろんなネタ教えて下さいw
2010/4/22(木) 午前 1:03