『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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松平 頼徳

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松平頼徳は常陸国宍戸藩の第9代目の藩主

【天狗党の乱】が原因で改易となった水戸藩支藩の藩主ですw

天保2年(1831年)4月3日水戸藩主徳川宗翰の6男頼位の長男として誕生w

お母サンは水戸藩主徳川宗翰の8男松平保福の娘サンで幼名は「豊太郎」ですw

ちなみに…祖父徳川宗翰は有名な水戸藩主徳川斉昭の曽祖父です!

さらに…両親は従兄弟同士なんですよ!!

天保10年(1839年)5月17日に宍戸藩主松平頼筠が享年38歳で死去します…

そんで父頼位が養嗣子となって宍戸藩を相続します!!

頼位は宍戸藩主就任前から徳川斉昭の水戸本藩相続に協力してました!

そんで徳川斉昭に従って藩政改革を行なってるんですよ!

弘化元年(1844年)水戸藩主徳川斉昭が幕府より強制隠居させられます…

頼位は徳川斉昭隠居後は水戸本家徳川慶篤の補佐を務めてるんですよ!

弘化3年(1846年)に徳川斉昭の謹慎が解除されます!!

弘化3年(1846年)9月21日に父頼位が36歳で隠居します!

そんで15歳で家督を継ぎ宍戸藩主となるんですw

官位は従五位下・大炊頭ですw

この頃に高松藩主松平頼儀の3男頼顕の娘サンと結婚しますw

ちなみに…第二婦人(継室)は園部藩主小出英発の娘サンなんですよ!

頼位と共に水戸本家徳川慶篤の補佐を務めます!

嘉永6年(1853年)6月にペリー艦隊が浦賀沖に来航します!!

徳川斉昭は開国に反対し強硬な攘夷を提唱するんです!!

13代将軍徳川家定の将軍継嗣問題で「徳川慶福」を推す南紀派井伊直弼に対して

徳川斉昭は息子一橋慶喜を推して「一橋派」を形成し井伊直弼と対立します!

安政3年(1856年)11月に右大臣近衛忠煕の養女篤姫が大奥入りしますw

安政5年(1858年)に彦根藩主井伊直弼が大老に就任します!

そんで日米修好通商条約に調印し将軍後継も徳川慶福に決めちゃうんです!!

安政5年(1858年)8月14日に13代将軍徳川家定が享年35歳で死去します…

安政5年(1858年)8月24日に薩摩藩主島津斉彬が享年50歳で死去します…

安政5年(1858年)9月14日孝明天皇水戸藩に「戊午の密勅」を下賜!!

安政6年(1859年)に大老井伊直弼による徳川斉昭達の粛清が行われます!!

これが世に言う『安政の大獄』の始まりです…

安政7年(1860年)3月3日に井伊直弼が水戸浪士に享年46歳で暗殺されます…

これが世に言う『桜田門外の変』です…

万延元年(1860年)8月15日に徳川斉昭が享年61歳で死去します…

文久2年(1862年)に皇女和宮が大奥入りしていますw

文久3年(1863年)に14代将軍徳川家茂が上洛してます!

元治元年(1864年)3月27日に水戸天狗党の乱が勃発します!!

元治元年(1864年)8月8日より諸藩連合軍と天狗党との戦闘が始まります!!

反天狗党の水戸藩家老市川三左衛門が水戸城を占拠し天狗党と激戦を繰り広ます!!

幕命により水戸藩内乱鎮静のため水戸へ向け出陣します!

でも…この鎮圧軍の中に武田耕雲斎ら過激派要人が紛れてたんですよ!!

その為に市川三左衛門より水戸城への入城を拒否られちゃいます!!

その後も市川三左衛門と交渉するけど失敗に終わります…

そんで水戸城郊外で対峙した両勢力はついに戦闘状態に入るんです…

そんな中で天狗党の一隊が鎮圧軍に駆けつけ鎮圧軍に加勢するんですよ!

だから尚の事市川三左衛門は入城を拒絶し戦闘はさらに拡大しちゃうんです…

当初天狗党には批判的だったけど行動を共にする内に共感しちゃいます!

でも…数には勝てず鎮圧軍が優勢となるんです!

元治元年(1864年)8月20日に禁門の変が勃発します!

追い込まれた水戸藩家老市川三左衛門は幕府に応援を要請します!!

その際に鎮圧軍は天狗党と同一視されて「討伐の対象」にされるんです!!

まさに『ミイラ取りがミイラになった』瞬間でした!

結局は新たに派遣された幕府軍に包囲されちゃいます…

元治元年(1864年)11月4日幕府に真意を訴える為水戸城下へ出仕します!

でも…それは幕府軍の罠だったんです!!

結局は一切の申し出は受け入れてもらえずに糾弾されます…

元治元年(1864年)11月4日に享年34歳で切腹を命じられ死去します…

家臣の多くも処刑され父頼位も連座で拘禁され宍戸藩は改易となります…

この3年後に江戸幕府は滅亡しています…ちなみに…

慶応4年(1868年)2月に父頼位は新政府より宍戸藩復活を許されてます!

それと…水戸藩家老市川三左衛門ですが…

慶応4年(1868年)戊辰戦争勃発後に約500名を率いて水戸を脱出し奥羽・越後各地を転戦して薩長官軍と戦うけど明治元年(1868年)9月に会津藩が降伏すると水戸に帰ります!!その後密かに江戸に潜伏します!明治2年(1869年)2月に江戸(東京)潜伏中に水戸藩捕吏に捕らえられて明治2年(1869年)4月3日に逆磔の極刑に処されちゃうんです…

ちなみに…側室との間に儲けた娘がその後大審院判事永井岩之丞と結婚して生まれた娘夏子の孫にあたるのが有名な昭和期の小説家三島由紀夫なんですよー!曾孫になるんです!!
下画像は水戸本藩徳川斉昭の肖像画ですw決して頼徳じゃありません!

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御三家の支藩でも、改易があったんですね!
しかも、とても複雑な事情ですよね・・。
この時期は、水戸藩のみならず、領地を治めるのが非常に難しい時代だったんでしょうね。

2008/11/16(日) 午後 9:57 [ - ]

この直前に「南紀派」と「一橋派」の対立があって水戸藩は政争に破れてます…まだ14代将軍徳川家茂存命中で水戸藩は反主流派として肩身が狭い時期ですよね…でも水戸天狗党の乱が起った事によって水戸藩は良い人材を多く失ってしまうんです…幕末期には国内随一の賢人を輩出しながらも結果として明治維新後の新政府には誰一人送り出せなかったんですよね…

2008/11/16(日) 午後 11:24 まるこ

家老が逆磔って凄いですね

幕末も動乱期だなぁって感じます

三島由紀夫さんって、そうなんだ〜知らなかった

(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆

2010/6/15(火) 午後 7:23 [ - ]

もし…戊辰戦争で水戸藩が新政府方に組してたら…家老なら間違い無く明治維新後に爵位を授与してたと思いますw尾張・紀伊両徳川家の附家老は全員男爵位を授与してるし…曾孫辺りになると知ってる人物との血縁なんかがわかってもっと身近になりますよねw

2010/6/16(水) 午後 10:48 まるこ


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