本多忠央は三河国挙母藩の第3代目(最後)の藩主そんでもって遠江国相良藩の最初で最後の藩主毛利元就の4男【毛利秀元】の曾孫なんですよw宝永5年(1708年)に挙母藩主本多忠次の長男として誕生しますw母は初代挙母藩主本多忠利の娘サンですw 宝永6年(1709年)1月10日に5代将軍徳川綱吉が享年63歳で死去します…正徳元年(1711年)11月20日に父忠次が享年33歳で死去します…死因は「病死」となってますが…当時の尾張藩の記録では正徳元年(1711年)10月に挙母藩内で派閥抗争が起こり父忠次は近臣を誅殺しちゃうけど…父忠次自身も近臣によって殺されちゃってお母サン(忠次室)も自害したとされてるんですよ…だけど改易を恐れた家臣達が父忠次の死因を偽り時期をずらして幕府に報告したってなってます…
とにかく家督を継ぐんですw 正徳2年(1712年)10月14日に6代将軍徳川家宣が享年51歳で死去します…正徳6年(1716年)4月30日に7代将軍徳川家継が享年8歳で死去します…享保7年(1722年)に従五位下・長門守に叙任しますw西代藩主本多忠統の娘サンと結婚しますw でも子供が出来なかったんで忠由を養子にしますw 寛保2年(1742年)6月には大番頭となるんです! 寛延2年(1749年)2月6日に遠江国相良藩に移封されます! 寛延4年(1751年)6月20日に8代将軍徳川吉宗が享年68歳で死去します…宝暦8年(1758年)に郡上藩主金森頼錦が悪政を理由に改易されます…そんで縁戚に当たる事から特別落ち度もなかったけど連座で改易されちゃうんですよ… 親戚と言っても…養祖父忠利と金森頼錦の曽祖父頼業の母が兄妹だって事だけです… まさにトバッチリです…身柄は津山藩主松平長孝に預けられます…宝暦7年(1757年)2月29日に義父忠統が享年67歳で死去します…宝暦11年(1761年)6月12日に9代将軍徳川家重が享年51歳で死去します…明和5年(1768年)60歳の時に罪を許されて赦免されますwその後は江戸にいる養子忠由の元で余生を過ごします… 天明6年(1786年)8月25日に10代将軍徳川家治が享年50歳で死去します…享和2年(1802年)に享年95歳で死去します…下画像は高祖父毛利秀元の肖像画なんですw決して忠央じゃありません!【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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この本多さんは、名前から推測するに忠勝系!?ですかね??
それにしても、改易の理由が理不尽ですよね!かわいそう。
2008/11/25(火) 午後 6:58 [ - ]
『正解』です!!本多忠勝の長男忠政の3男忠義の次男忠利の系統になるんですよ!本当に可哀想です…
2008/11/27(木) 午後 11:43
すごい改易理由ですね
でも悪政って、それだけ重罪だってことなのかも
藩への不満が幕政に向いたら大変ですものね
気の毒な晩年です
ちなみに毛利秀元も好き^^
らんくりぽち
2010/7/8(木) 午後 3:22 [ - ]
トバッチリと言うとあれですけど…基本的には何かしらの幕閣内の政争に巻き込まれたんじゃないかと思ってます…じゃないと…本当にトバッチリで可哀想過ぎますからね…
2010/7/8(木) 午後 4:08