|
お母サンは織田信長の兄信広の娘サンで幼名は「宮松」なんですよw この時実兄長重は5歳でしたw 天正6年(1578年)3月13日に上杉謙信が春日山城にて享年49歳で死去します…天正10年(1582年)6月2日本能寺の変で織田信長が享年49歳で死去します…天正11年(1583年)父長秀と実兄長重が羽柴方で賤ヶ岳の戦いに参陣しますw戦後に父長秀は羽柴秀吉から越前・若狭・加賀2郡約123万石を拝領します!! 天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いで病床の父長秀に代り実兄長重が出陣しますw 天正13年(1585年)4月16日に父長秀が享年51歳で死去します…そんで実兄長重が14歳で家督を相続しますが…天正13年(1585年)越中征伐に実兄長重が従軍した際に佐々成政に内応した家臣が いるって疑いをかけられ若狭15万石に大減封されちゃうんです… その際に実兄長重から500石を分地され豊臣秀吉に仕えるんですw 天正14年(1586年)12月25日に豊臣秀吉が関白太政大臣に就任しますw 天正15年(1587年)豊臣秀吉から11歳で越前国藤枝5万石を拝領しますw 天正15年(1587年)九州征伐の際に実兄長重が家臣の狼藉を理由に改易されます… そんで新たに加賀国松任4万石を拝領してるんです… 天正18年(1590年)小田原征伐に実兄長重と一緒に従軍しますw その際の活躍にて戦後に越前国東郷5万石に移封されと「羽柴姓」を拝領しますw 実兄長重も活躍して加賀国小松12万石に加増移封されますw 文禄4年(1595年)7月15日に豊臣秀次が豊臣秀吉の命で享年28歳で切腹します…慶長2年(1597年)8月28日に足利義昭が享年61歳で死去します…慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が大坂城にて享年63歳で死去します…慶長4年(1599年)閏3月3日に五大老前田利家が享年61歳で死去します…実兄長重が大谷吉継の誘いで西軍に参加したんで西軍に味方します!慶長5年(1600年)7月17日に石田三成が挙兵します!! 慶長5年(1600年)8月浅井畷の戦いで実兄長重が前田利長に大損害を与えます!! この時前田利長は徳川家康に関ヶ原本戦参加を命じられてたんですが… そんで西軍加担を理由に実兄長重と共に【改易】され死罪は免れるんです… そんで大坂城入りし豊臣秀頼に仕えるんです! でも大坂城内での待遇は中途採用だけにあまり良いもんではなかったんです… 慶長8年(1603年)3月21日に徳川家康が征夷大将軍に任官しますw 慶長8年(1603年)4月22日に豊臣秀頼が内大臣に任じられますw これによって豊臣家と徳川家の確執が生まれて来るんですよ… 慶長8年(1603年)7月豊臣秀吉の遺言で豊臣秀頼と徳川秀忠の娘千姫と結婚します! 慶長8年(1603年)実兄長重が許され常陸国古渡1万石を拝領します!! 慶長10年(1605年)4月13日に豊臣秀頼が右大臣に就任します! 慶長10年(1605年)4月16日に徳川秀忠が征夷大将軍に任官します! 京都で徳川家康が豊臣秀頼との会見を求めたけど淀殿が反対し拒否し続けます!! 慶長10年(1605年)松平忠輝と豊臣秀頼が面会します!! 慶長16年(1611年)加藤清正・浅野幸長に守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します! 慶長17年(1612年)2月に岡本大八事件が起こります…慶長18年(1613年)5月17日に大久保長安事件が起こります!!慶長19年(1614年)に方広寺鐘銘事件が起き豊臣家家老片桐且元が追放されます!!豊臣家の孤立が強まり焦りから兵糧や浪人を集め出し幕府と対決し始めます!! 豊臣方に味方する大名はいなかったんですよ… だけど福島正則は大坂蔵屋敷にあったお米の接収を黙認してくれたんです!! 真田幸村・後藤又兵衛・長宗我部盛親・毛利勝永・明石全登らが大坂に入城します!!そんで浪人衆は士気旺盛だったけど寄せ集めなんで統制は取れてませんでした…さらに浪人衆と大野治長・母淀殿らが最後まで対立してたんです…真田幸村らが京都進撃を提案したけど大野治長等が反対し大坂城篭城に決定します!
戦争勃発は時間の問題となって来て身の危険を感じ取ります…そんで… 慶長19年(1614年)10月に実兄長重の勧めもあり大坂城から脱出します!! でも…すぐに和議は破れてその後の大坂夏の陣へと突入するんです! 慶長20年(1615年)5月8日に大坂夏の陣が豊臣家滅亡で終結します…この戦いで実兄長重は幕府方として大活躍してるんですよw元和2年(1616年)4月17日に徳川家康が享年74歳で駿府城にて死去します…実兄長重が立花宗茂と一緒に2代将軍徳川秀忠の御伽衆となり筆頭となるんですw元和5年(1619年)に実兄長重が常陸国江戸崎2万石に加増移封されますw 元和6年(1620年)に越前国福井にて享年46歳で死去します…★☆★ちなみに…下画像は父丹羽長秀の肖像画で長正じゃありません!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
|
全体表示
[ リスト ]



兄と違い穏やかそうな印象ですね。
生まれる時代を間違えたような…
親も兄も凄い人物だけにイマイチな印象が強く残ってしまいます。
2009/4/2(木) 午後 7:38
父兄もそうですが…やはり地味なんですよね…関ヶ原の戦い直後に大坂入りしている所なんか逆に兄より「武闘派」な感じがしましたが…最終的に大坂の陣直前に大坂城を脱出しちゃってるんでやっぱり「イマイチ」ですねw
2009/4/2(木) 午後 9:44
楽しくお勉強させて頂きました^^歴史って・・・深〜ぃですね。
重いイメージの歴史をこの様に教えて頂けると自然に
『ホォ〜』( ´・ω・)とか『ヘェー』(´・ω・`)~~~とか言いながら
真剣に読ませて頂けて楽しくお勉強できます! まるこさんに日頃も←(ここポイント!!w)感謝(^^) 感謝(^^)です。
またお邪魔します w ありがとうございました^^
2009/4/7(火) 午前 10:34 [ 樋菜子 ]
深く考えずに気軽に楽しんで頂けると嬉しいですw今後とも宜しくお願い致します!
2009/4/7(火) 午後 1:04
こちらこそ宜しくお願い致します!!
またお邪魔しま〜す(`・ω・´)
2009/4/7(火) 午後 4:31 [ 樋菜子 ]
ぜひぜひお待ちしていますw
2009/4/7(火) 午後 8:58
穏やかな晩年だったのかなぁ^^
丹羽家は残るから良いけど、庶流の家が無いのは、「家」としては寂しいですね^^
ランクリ▼・×・▼←ポチ
2010/10/24(日) 午後 5:08 [ - ]