『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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石田 重家

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石田重家は近江国佐和山藩主の第2代目(最後)の藩主

関ヶ原の戦いで西軍の実質的首謀者【石田三成】の長男ですw

天正11年(1583年)羽柴秀吉家臣石田三成の嫡男として誕生しますw

お母サンは羽柴秀吉の弟秀長の家臣宇多頼忠の娘サンですw

天正11年(1583年)4月の賤ヶ岳の戦いで父三成が活躍しますw

天正12年(1584年)に父三成が小牧・長久手の戦いに従軍します!

天正13年(1585年)7月11日に父三成が従五位下・治部少輔に叙任されますw

天正13年(1585年)末に豊臣秀吉より父三成が近江国水口4万石を拝領しますw

天正14年(1586年)1月父三成が島左近を所領の半分2万石で召抱えます!!

天正14年(1586年)6月父三成が上杉景勝と豊臣秀吉の会見を斡旋しますw

この時に父三成と上杉家家老直江兼続が意気投合して親友となるんですw

天正14年(1586年)7月より始まった九州征伐にも父三成が参陣します!

天正14年(1586年)12月25日豊臣秀吉が関白太政大臣に就任しますw

天正16年(1588年)父三成が島津義久の豊臣秀吉との謁見の斡旋をします!

天正16年(1588年)2月9日足利義昭が征夷大将軍職を辞任します!

これによって正式に室町幕府は終焉を迎えるんですよ!

天正18年(1590年)小田原征伐に父三成が参陣し豊臣秀吉から後北条家の支城である忍城攻撃を命じられるんです!!でも…忍城攻めは難航して小田原開城後の7月初旬まで戦闘が続いたんです…

文禄元年(1592年)からの文禄の役で父三成は渡海し朝鮮出兵の総奉行を務めます!

でも…この頃より福島正則ら武断派の反発を招いてたんです…

文禄2年(1592年)8月3日に豊臣秀頼が誕生しますw

文禄3年(1594年)島津家と佐竹家の領国を父三成が奉行として検地します!!

文禄4年(1595年)父三成が豊臣秀次を謀反の嫌疑により糾問します!!「秀次事件」

文禄4年(1595年)7月15日に豊臣秀次が豊臣秀吉の命で享年28歳で切腹します…

文禄4年(1595年)父三成が佐和山19万4千石の所領を拝領しますw

この頃に父三成が五奉行筆頭に就任しますw

慶長2年(1597年)8月28日に足利義昭が享年61歳で死去します…

慶長3年(1598年)8月18日に豊臣秀吉が大坂城にて享年63歳で死去します…

慶長4年(1599年)2月に前田利家と徳川家康の対立が一時激化しています!!

この時父三成は前田利家を支持して徳川家康の台頭に危機感を募らせてます…

慶長4年(1599年)閏3月3日に五大老前田利家が享年61歳で死去します…

慶長4年(1599年)閏3月4日に父三成への襲撃事件が勃発します!
父三成を襲撃したのは…父三成と敵対関係にあった武断派の加藤清正・福島正則・黒田長政・細川忠興・浅野幸長・池田輝政・加藤嘉明の7将だったんですよ…この時父三成は事前に親友佐竹義宣の助力を得て大坂から脱出し五大老宇喜多秀家の助けもあって伏見の徳川家康の仲裁で事無きを得るんです…でも…その条件とは…五奉行職を辞任して隠居して佐和山城(領国)に戻ると言うものだったんです…父三成は泣く泣くこの条件を飲みます…
慶長4年(1599年)3月10日父三成は結城秀康守備の元で佐和山城に戻り隠居します…

そんでわずか16歳で家督を継ぎ従五位下・隼人正に叙任任官…あくまで形だけでした…

父三成は変らず反徳川派として発言力を持ち方々に手を廻すんです!

慶長5年(1600年)5月父三成が上杉景勝・直江兼続らと密かに挙兵の計画を立てます!!

慶長5年(1600年)6月2日に会津征伐が発動されます!!

慶長5年(1600年)7月会津征伐に参陣途中の大谷吉継らが佐和山城を訪れますw

それは父三成と徳川家康を仲直りさせようと大谷吉継の監督下の元で父三成の名代として会津征伐に従軍させようと考えての行動だったんですよwだけど…大谷吉継らは父三成から徳川家康打倒の決意を打ち明けられるんです!!ビックリして大谷吉継らは父三成を説得するけど意志も固く聞き入れられず…ついには父三成との友情をとり大谷吉継らは西軍加担を決めるんです!

慶長5年(1600年)7月17日に父三成が毛利輝元を擁立し挙兵します!!

そんで豊臣家に対する人質として大坂城に留め置かれるんです…

慶長5年(1600年)9月15日に関ヶ原の戦いは東軍が勝利します!

それを知ると重臣津山甚内や乳母らの手筈で密かに大坂城を脱出します!!

慶長5年(1600年)9月17日に佐和山城が東軍に攻撃され落城します…

その際に祖父正継や伯父正澄ら石田一族も自刃してるんです…

そんで京都妙心寺の塔頭寿聖院に入り住職伯蒲恵稜の手で剃髪し仏門に入るんです!

ちなみに…この寺院は父三成が祖父正継のために建立した寺なんです!

その後も落武者狩り等があったんで潜伏して音沙汰がなくなる迄耐え忍ぶんです…

慶長5年(1600年)10月1日六条河原で西軍首謀者の父三成(享年41歳)ら3人が斬首されます…

そんで京都所司代奥平信昌を通じ徳川家康に助命を嘆願します!!

徳川家康も仏門にある者を殺す訳にもいかず赦免されるんですw

慶長8年(1603年)3月21日に徳川家康が征夷大将軍に任官しますw

慶長8年(1603年)4月22日に豊臣秀頼が内大臣に任じられますw

これによって豊臣家と徳川家の確執が生まれて来るんですよ…

慶長10年(1605年)4月16日に徳川秀忠が征夷大将軍に任官します!

京都で徳川家康が豊臣秀頼との会見を求めたけど淀殿が反対し拒否し続けます!!

慶長10年(1605年)松平忠輝と豊臣秀頼が面会します!!

慶長16年(1611年)加藤清正・浅野幸長に守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します!

慶長17年(1612年)2月に岡本大八事件が起きます…

慶長18年(1613年)5月17日に大久保長安事件が起きます!!

慶長19年(1614年)に方広寺鐘銘事件が起き豊臣家家老片桐且元が追放されます!!

この頃から大坂方より豊臣陣営から誘いを受けますが断固として拒否します!

慶長20年(1615年)5月8日に大坂夏の陣が豊臣家滅亡で終結します…

元和2年(1616年)4月17日に徳川家康が駿府城にて享年74歳で死去します…

寛永9年(1632年)1月24日に徳川秀忠が享年53歳で死去します…

寛永14年(1637年)10月25日に島原の乱が勃発します…

慶安4年(1651年)4月20日に3代将軍徳川家光が享年48歳で死去します…

寛文11年(1671年)に伊達騒動が起きます!

延宝8年(1680年)5月8日に4代将軍徳川家綱が享年40歳で死去します…

延宝8年(1680年)6月26日に鳥羽藩主内藤忠勝が芝増上寺殺傷事件が起こします!!

延宝8年(1680年)12月9日に大老酒井忠清が失脚します!

延宝9年(1681年)6月に越後騒動が起きます!

貞享元年(1684年)8月28日江戸城内で大老堀田正俊が若年寄稲葉正休に暗殺されます!

貞享3年(1686年)閏3月8日に妙心寺寿聖院にて享年104歳で死去します…

墓所は京都府の妙心寺寿聖院で法号は「宗享」です…

ちなみに…石田家は弟重成の家系が津軽藩家老として代々存続してるんです…
★☆★ちなみに…下画像は父石田三成の肖像画で重家じゃないです!★☆★

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まるこさん
次の日曜に 自分の記事で まるこさんのブログを紹介してもいいかしら?

石田三成が佐和山に戻るとこを記事にするので
参考にしましたって入れたいの
名前を出すのが お嫌でしたら 言って下さいませ〜(*´∇`*)

2009/8/17(月) 午後 10:09 [ - ]

津軽為信は元々南部家の庶流で南部家の内紛に乗じて独立したんですよねwその際いち早く小田原征伐に参陣して豊臣秀吉より支配地安堵の朱印状を貰ってるんですよ!!その時に裏でいろいろと世話をしたのが石田三成だったんです!だからもし小田原征伐時に朱印状を貰えなかったら改易されてただろうし…場合によっては九戸政実のように征伐されてたかもしれないんで石田三成は津軽家にとって「命の恩人」なんですよwだから関ヶ原以降これまでの恩に報いる為に遺児を保護したりしたんですよwちなみに…津軽為信の長男信建が関ヶ原時に豊臣秀頼の小姓として大坂城にいて西軍壊滅を知って石田三成の遺児達を津軽に連れて来たんですよ♪

2009/8/17(月) 午後 11:27 まるこ

保科媛サン>ブログ紹介の件…全然気にせずにどうぞwOKですw逆にこちらこそ…宜しくお願い致します m(_ _)m

2009/8/17(月) 午後 11:31 まるこ

こんばんは。石田三成の長男ですか!てっきり石田家は、家康に取り潰されていたものと
思っておりました(^^; 当時の104歳って凄いですよね!!宇喜多秀家も顔負けです(笑)

2009/8/22(土) 午後 9:05 権中納言・宇喜多

傑作ポチ&ランクリさせていただきましたm(_)m ところで第六回投票を開催中です。
まるこ殿の好きなあの武将が初登場しておりますので、ご参加いただければ幸いです。

2009/8/22(土) 午後 9:09 権中納言・宇喜多

まるこさん 記事アップしましたので トラバします〜

でもってランクリも〜〜^^

2009/8/23(日) 午後 7:07 [ - ]

宇喜多殿>ご無沙汰してますw佐和山城主としての石田家は関ヶ原後に改易になってますが…その血脈は現在も脈々と続いてるんですよwそれにしても…長生きですねw早速投票にお邪魔しますw

2009/8/23(日) 午後 11:24 まるこ

保科媛サン>ご紹介を兼ねて本当に有難うございますw早速拝見させて頂きまーすwいつもいつも感謝ですw

2009/8/23(日) 午後 11:27 まるこ

三成の息子さんは元気で頑張っていたのですね。
勉強になりました(_ _*)
画像のあやしい城が気になります(笑)

2009/8/30(日) 午前 7:44 るな

まるこさん

お礼遅れてすいません

丁寧な まるこさんに比べて 書きたい放題の記事にトラバありがとうございます^^

今後とも 何かありましたら よろしくお願いします

本日のランクリ〜

2009/8/30(日) 午後 1:11 [ - ]

るなサン>怪しいお城はハリボテなみの佐和山城ですwご存知の通り基本的に彦根城築城の際に破却されてますんで…

2009/8/31(月) 午後 4:19 まるこ

保科媛サン>逆に申し訳ありません…全然気になさらないで下さいませw

2009/8/31(月) 午後 4:21 まるこ

「傑作」☆

>大坂方より豊臣陣営から誘いを受けますが断固として拒否します!

何故でしょうか?仏門に入って、生涯還俗する気がなかったからでしょうか?それとも豊臣家に愛想を尽かしたから?

それにしても三成の石田家は全員処刑されて家系断絶したとばかり思ってたら、息子が104歳も長生きしてたとは・・・・(驚)!?
それに弟が家督を継ぎ、たとえ大名じゃなく、一介の家臣に降格されてたとしても、家系が続いていたというのも驚きです。

ところで記事内写真の城は佐和山城ですか?何やら一風変わったデザインの城ですが。

後、些か強引ですが、内容的に被る箇所があるのでTBします。

2009/9/2(水) 午後 3:27 [ - ]

関ヶ原時に重家は17歳…物事の分別等は充分にわかってたと思いますw仰る通り石田三成の一族郎党皆殺しってのが天下の常道ですが…あえて仏門に入る事で徳川家康に一命を助けられてます…俗世に生きる事の厳しさを知っているからこそ還俗しなかったのかもしれませんね!ちなみに…この佐和山城は「側」だけのハリボテです!!酷いですよね…TBも大歓迎ですw

2009/9/4(金) 午後 11:17 まるこ

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石田三成自身の事は知っていてもその子供達の事までは
全く知りませんでした。大変に勉強になります。

2009/9/7(月) 午後 4:04 [ わんこ ]

マイナー武将…そしてメジャー武将でも意外と詳細迄知られていない部分を紹介出来ればって日々考えてます!…少々大袈裟ですかね(笑)勉強なんて言わず楽しんで下さいませw

2009/9/7(月) 午後 9:38 まるこ

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まあ、別に家康は石田三成を憎んではいないでしょう。
むしろ自分に天下を取らせてくれたありがたい奴と考えてるでしょうね。
別にその一族を始末する必要などなかったわけです。

2010/5/2(日) 午後 8:07 [ ros*m*ri*17 ]

ros*m*ri*17サン>ご訪問&コメ有難うございますw結局は豊臣家に取って代るには石田三成の存在が不可欠だったんですよねwもし武断派と吏僚派の対立構造がなければ徳川家康は豊臣家に代る事は出来なかったかもしれませんね!今後とも宜しくお願い致しますw

2010/5/2(日) 午後 10:27 まるこ

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石田重家が記事になっていたとは、遅ればせながら今気付きました(汗)。
佐和山城跡、二度ほど行きましたが、史跡としてもう少しキチンと整備して欲しいなぁ。
こちらにもポチッ!

2010/5/3(月) 午後 5:37 a_jfk_of_kg

佐和山城址は彦根城の兼ね合いで跡形も無く破却されちゃってますからね…でも国宝となってる彦根城がどうしても主体となっちゃうんですかね…残念です…個人経営の佐和山庭園(?)みたいのは今は閉園してるみたいです…ポチ有難うございますw

2010/5/3(月) 午後 10:21 まるこ

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