榊原忠次は遠江国横須賀藩の第2代目(最後)の藩主徳川四天王【榊原康政】の孫で元の名を【大須賀忠次】と言いますw播磨国姫路藩の初代藩主でもあるんですよw慶長10年(1605年)遠江国横須賀藩主大須賀忠政の長男として誕生しますwお母サンは徳川家康の養女(松平康元の娘…徳川家康の姪)で幼名は「国丸」ですw 大須賀家は元々三河譜代の家柄で祖父康高は徳川二十将の一人として数えられる武将だったんです!でも…祖父康高には跡継ぎがいなかったんで娘婿になる榊原康政の長男忠政を大須賀家の養子としてたんですよw慶長10年(1605年)4月16日徳川秀忠が征夷大将軍になります! 京都で徳川家康が豊臣秀頼との会見を求めたけど淀殿が反対し拒否し続けます!! 慶長12年(1607年)3月父忠政が病気で体調を崩し京都で静養します… 慶長12年(1607年)9月11日父忠政が京都にて享年27歳で死去します…そんで僅か3歳で元服し大須賀家の家督を継ぎ『大須賀忠次』と名乗るんですwでも…藩政は全て重臣達に任せてたんですけど… ちなみに…幼心に徳川四天王として武勇に長けた祖父榊原康政は憧れの的だったんですよ!
慶長16年(1611年)加藤清正らに守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します! 慶長17年(1612年)2月岡本大八事件が起きます…慶長18年(1613年)5月17日大久保長安事件が起きます!!慶長19年(1614年)方広寺鐘銘事件が起き大坂城から片桐且元が追放されます!!慶長19年(1614年)10月に大坂冬の陣が勃発します!! 慶長19年(1614年)12月20日幕府方と豊臣方の和議が成立しますw 慶長20年(1615年)5月に大坂夏の陣が勃発します!! 慶長20年(1615年)5月8日大坂夏の陣が豊臣家滅亡で終結します…慶長20年(1615年)5月27日叔父榊原康勝が京都にて享年26歳で死去します…その直後榊原家の家老中根吉衛門・原田権左衛門・村上弥右衛門の3人が訪れて来ます!そんで『「大須賀家」と大好きな祖父康政公の「榊原家」のどっちがいぃ?』と質問します!! この質問に何も考えずすぐに「榊原家」と答えたんですよ! 榊原3家老は喜んで大須賀家を後にするんです! 実は…叔父榊原康勝には庶子(側室の子)勝政がいたんです…でも榊原家の家老中根吉衛門・原田権左衛門・村上弥右衛門の3人は「幼い藩主だと戦いで大活躍しずらいから今以上の立身出世が望めない」と策謀してこの後徳川家康に「叔父榊原康勝に跡継ぎはいない」と回答しちゃうんです!!でも徳川家康は徳川四天王榊原康政の名跡が絶える事を惜しみました!そんで3家老は予定通り「甥にあたる大須賀忠次が適任かと思います」と付け加えたんです…慶長20年(1615年)6月に江戸登城を命じられます!! そんで徳川家康は『「大須賀家」と「榊原家」のどっちがいぃ?』と質問します… 間髪いれずにこの時も「榊原家」と答えたんです! そんでこの時正式に上野国館林藩榊原家10万石の相続を認められたんです! さらにお母サンが徳川家康の姪だったんで一代限りで「松平姓」を名乗る事も許されますw 元和元年(1615年)8月「榊原忠次」と改名し館林藩榊原家を10歳で相続します! これにより遠江国横須賀藩6万石の大須賀家は無嗣断絶となり【改易】となるんです…元和2年(1616年)従五位下・式部大輔に叙任任官しますw元和2年(1616年)4月17日徳川家康が駿府城にて享年74歳で死去します…ちなみに…従兄弟榊原勝政は叔父榊原康勝の奥サン(正室)古屋姫(加藤清正の娘)に引取られ肥後藩主加藤忠廣の元で養育されていたんです!
元和6年(1620年)古屋姫が大坂城代阿部正次の長男政澄と再嫁しますw そんで従兄弟勝政の存在を幕府に報告したんです!! この為館林藩の3家老は幕府により流刑処分となるんです… 元和7年(1621年)福岡藩主黒田長政の娘サンと結婚しますw 元和9年(1623年)8月4日義父黒田長政が享年56歳で死去します…寛永2年(1625年)長男小平太が誕生しますが…育ちが悪くすぐ亡くなります…寛永3年(1626年)従四位下に昇任しますw寛永9年(1632年)1月24日徳川秀忠が享年53歳で死去します…寛永9年(1632年)5月22日肥後藩主加藤忠廣が【改易】されます…この頃…唐津藩主寺沢広高の娘サンを第二夫人(継室)として迎えますw 寛永10年(1633年)4月11日に義父寺沢広高が享年70歳で死去します…寛永14年(1637年)10月25日に島原の乱が勃発します…寛永18年(1641年)次男政房が誕生しますw 寛永20年(1643年)7月陸奥国白河藩14万石に加増転封しますw 正保4年(1647年)11月18日義兄寺沢堅高が江戸海禅寺で享年38歳で自殺します…理由は過度のストレスらしく…唐津藩寺沢家は跡継ぎがなくて【改易】となるんです…正保5年(1648年)12月12日将軍世継徳川家綱の傅役に命じられます!! この時奥平昌能(奥平信昌の曾孫)も一緒に任命されてます! 慶安2年(1649年)6月9日播磨国姫路藩15万石に加増転封しますw そんで新田開発を推進する一方で趣味の和歌や百人一首を楽しんでたんですw 慶安4年(1651年)4月20日に3代将軍徳川家光が享年48歳で死去します…その後は会津藩主保科正之の下で幕政に務めるんです!万治元年(1659年)6月28日幕府大老井伊直孝が享年70歳で死去します…寛文3年(1663年)保科正之の推挙により幕府大老に就任しますwそんで従四位下・侍従に任官するんですw その後子孫は…播磨国姫路藩⇒越後国村上藩⇒播磨国姫路藩と転封を繰返し 【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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取潰されたお殿様
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小平太は榊原の名乗りだもんなぁ
継室って 黒田長政の娘は亡くなったの?
娘の記録って少ないから調べるのキツイよね^^;;
10歳の子供に判断させるのは ちょっと。。。家老たちが悪巧みしすぎ
いま 検索したけど 政房が奔走して勝政を幕府寄り合いにすることに成功してるんだね
血統が続いて良かった^^
(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆
2009/11/26(木) 午後 9:01 [ - ]
榊原康政は個人的に好きな武将で信長の野望とかでは必ず登用しちゃいます!
忠次氏は年代的にゲームには登場出来ないですよね。
実際松平の姓は名乗ったのかしら?
そして私、熱が38度超えたので明日は休みま〜す。
2009/11/27(金) 午後 10:35 [ 柴犬ライフ ]
黒田長政の娘サンのその後はわかんないんですよ…忠次サン自身が生前に次男政房に従兄弟勝政一家の事を託してますからね!そんで幕府も徳川四天王榊原康政の嫡孫となる勝政サンにそれなりの所領と待遇をあげようとしてまず捨扶持1千俵を与えたんですよ♪でも…勝政サンはこれ迄の浪人人生に思うとこがあったみたくて突然隠居して出家しちゃうんですよ…そんで長男勝直と次男政喬は勝政サンは岡山藩池田本家と姫路藩榊原本家の尽力により直参旗本になったんですよ!
2009/11/27(金) 午後 11:08
柴犬ライフサン>榊原忠次は1代限りで「松平姓」を許されてるんで公式な場や文書では「松平姓」を使用してますwでも…熱が38℃超えたってのは頂けないですね…大丈夫ですか?病院に行きましたか?早く治して下さいませ!
2009/11/27(金) 午後 11:11