『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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太田 一吉

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太田一吉は豊後国臼杵藩の最初で最後の藩主

【石田三成】【黒田如水】と仲良しで元【丹羽長秀】の家臣ですw

生年月日は不明ですが天文19年(1550年)頃だと思います…

織田信秀家臣太田宗清の長男として誕生し初名は「宗隆」と言いますw

天文20年(1551年)3月3日織田秀信が享年42歳で死去します…

天文21年(1552年)斎藤道三が美濃国を完全に平定します!

天文23年(1554年)斎藤道三が家督を長男義龍へ譲り隠居します…

弘治2年(1556年)4月20日斎藤道三が享年63歳で討ち死にします…

永禄3年(1560年)5月19日桶狭間の戦いで今川義元が享年42歳で死去します…

この頃より織田信長の宿老丹羽長秀の小姓として仕えますw

永禄4年(1561年)5月11日斎藤義龍が享年35歳で死去します…

永禄8年(1565年)5月19日13代将軍足利義輝が享年30歳で暗殺されます…

永禄10年(1567年)10月10日松永久秀が東大寺大仏殿を焼き払います!!

永禄10年(1567年)斎藤龍興が追放され織田信長が美濃国を併合しますw

永禄11年(1568年)9月30日14代将軍足利義栄が享年29歳で死去します…

元亀元年(1570年)4月織田信長が越前征伐を開始します!!

元亀元年(1570年)6月28日昼頃姉川の戦いで浅井・朝倉連合軍を織田・徳川連合軍が撃破!!!

元亀3年(1572年)7月織田信長が北近江侵攻を開始します!!

元亀3年(1572年)9月武田信玄が兵2万7千で上洛を開始します!

元亀4年(1573年)4月12日武田信玄が上洛途中に享年53歳で死去します…

天正5年(1577年)10月10日松永久秀が享年68歳で死去します…

天正6年(1578年)3月13日上杉謙信が春日山城にて享年49歳で死去します…

天正10年(1582年)3月羽柴秀吉が備中攻めを開始します!!

天正10年(1582年)6月丹羽長秀が四国征伐の副将に命じられますが…

天正10年(1582年)6月2日本能寺の変で織田信長が享年49歳で死去します…

そんで四国征伐軍は多くの逃亡者を出してしまい残存勢力で羽柴軍と合流します!

天正10年(1582年)6月13日羽柴軍が山崎の戦いで勝利します!!

その際に大活躍し羽柴秀吉に気に入られるんですw

この頃羽柴秀吉家臣蜂須賀小六の娘サンと結婚するんですw

天正11年(1583年)3月賤ヶ岳の戦いに従軍し大活躍します!!

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いにも従軍し大活躍します!!

天正13年(1585年)4月16日丹羽長秀が享年51歳で死去します…

そんで羽柴秀吉の誘いで馬廻衆となり越前国清水山3500石を拝領します!!

これを期に名前を「宗隆」から「一吉」に改名するんです!

ちなみに…この時馬廻衆を統括していたのが【黒田官兵衛(如水)】だったんです!黒田官兵衛(如水)にはとても気に入られ弟のように可愛がられたんですwそんでもって羽柴秀吉側近石田三成とも意気投合しますw

天正13年(1585年)四国征伐にも従軍し大活躍します!!

天正14年(1586年)九州征伐にも従軍し大活躍します!!

天正14年(1586年)12月25日豊臣秀吉が関白太政大臣に就任しますw

天正16年(1588年)2月9日足利義昭が征夷大将軍職を辞任します!

これによって正式に室町幕府は終焉を迎えるんですよ!

天正17年(1589年)従五位下・飛騨守に叙任しますw

天正18年(1590年)小田原征伐・奥羽征伐にも参陣し活躍します!!

天正20年(1592年)からの文禄の役では目付役として朝鮮に渡航し活躍します!!

文禄2年(1593年)5月1日大友吉統が文禄の役中の臆病な行動が原因で改易されます…

そんで代りに豊後国臼杵6万5千石を拝領しますw

文禄2年(1593年)8月3日豊臣秀頼が誕生します!!

文禄4年(1595年)7月15日豊臣秀次が豊臣秀吉の命で享年28歳で切腹します…

慶長2年(1597年)から慶長の役が始まると石田三成らと軍目付として渡航します!!

南原城の戦いでは一番乗りの大活躍するんですが…

慶長2年(1597年)8月28日に足利義昭が享年61歳で死去します…

慶長2年(1597年)12月22日浅野幸長と一緒に蔚山城外仮営にて駐屯してました!
守将の毛利秀元と加藤清正は不在だったんですが明軍が来襲します!!奮戦するけど兵力差で圧倒され負傷しながら篭城戦に移行します!!そのうち加藤清正が戻り小早川秀秋・毛利秀元・黒田長政・長宗我部元親らの援軍が到着!!
慶長3年(1598年)1月4日日本軍が明軍を撃破し蔚山城の戦いが終結します!

そんで負傷してたんで先に帰国し療養生活を送るんですが…

福原長堯や熊谷直盛と同じ軍目付だったから吏僚派と見なされ武断派との争いに巻き込まれます…

そんで一時豊臣秀吉より蟄居を命じられてます…

慶長3年(1598年)8月18日豊臣秀吉が大坂城にて享年63歳で死去します…

慶長4年(1599年)2月前田利家と徳川家康の対立が一時激化します!!

この時武断派より目の敵にされてたんで石田三成を支持してます!

慶長4年(1599年)閏3月3日前田利家が享年61歳で死去します…

慶長4年(1599年)閏3月4日五奉行石田三成襲撃事件が勃発します!

慶長5年(1600年)4月19日臼杵湾にオランダ船リ−フデ号が漂着します!!

慶長5年(1600年)6月2日に会津征伐が発動されます!!

石田三成には西軍に…黒田如水には東軍に誘われて悩むんですよ…

そんで甥政成を東軍に…長男一成を西軍に参加させます!!

自分自身は仮病を使って臼杵城に立て籠もり中立を決め込むんです!!

慶長5年(1600年)7月17日石田三成が毛利輝元を擁立し挙兵します!!

ちなみに…当時「中立」は認められず東軍に味方しないと「西軍」と見なされてたんです…

慶長5年(1600年)9月9日黒田如水が東軍として挙兵します!!

慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原本戦で西軍が敗れます!

正直これ以上篭城してても仕方ないかなって気持ちになってた時に…

臼杵城攻略に東軍の豊後竹田城主中川秀成が動き出します!

でも格下の中川秀成に降伏する程の恥辱はないと激怒し対中川戦の為出陣します!!

そんで佐賀関の戦いで徹底交戦の末に中川軍に大損害を与えて勝利します!!

この勝利で気持ちが収まり黒田如水に降伏の使者を送ります!

慶長5年(1600年)10月1日六条河原で西軍首謀者石田三成(享年41歳)らが斬首されます…

慶長5年(1600年)10月4日黒田如水に無抵抗で城を明け渡すんです!

その後一族郎党と共に伊予国に移りその後高野山に入り謹慎生活を送ります!

黒田如水の徳川家康への取成しで西軍加担で【改易】されただけで命は救われます!

その後は京都南禅寺にて余生を静かに過すんです…

慶長8年(1603年)3月21日徳川家康が征夷大将軍に任官しますw

慶長8年(1603年)4月22日豊臣秀頼が内大臣に任じられますw

これによって豊臣家と徳川家の確執が生じ始めます…

慶長9年(1604年)3月20日黒田如水が京都にて享年59歳で死去します…

慶長10年(1605年)4月16日徳川秀忠が征夷大将軍に任官します!

京都で徳川家康が豊臣秀頼との会見を求めたけど淀殿が反対し拒否し続けます!!

慶長10年(1605年)松平忠輝と豊臣秀頼が面会します!!

慶長16年(1611年)加藤清正らに守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します!

慶長17年(1612年)2月岡本大八事件が起きます…

慶長18年(1613年)5月17日大久保長安事件が起きます!!

慶長19年(1614年)方広寺鐘銘事件が起き片桐且元が追放されます!!

豊臣方からの誘いを受けるけど…高齢を理由に拒否します…

慶長20年(1615年)5月8日に大坂夏の陣が豊臣家滅亡で終結します…

元和2年(1616年)4月17日徳川家康が駿府城にて享年74歳で死去します…

元和3年(1617年)に享年67歳位で京都にて死去します…

★☆★ちなみに…下画像は親友黒田如水の肖像画で一吉じゃないです!★☆★


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やはり人望なんでしょうかね。
石田三成との縁で大禄を拝領して
黒田如水との縁で一命を取り留める。
本当に恵まれた人物なんですね。

そう考えると丹羽長秀の家臣は本当に層が厚いんですね。
ここにお邪魔するといつも満足感でいっぱいになれます。
本当に有難うございます。

2009/12/19(土) 午後 10:58 [ わんこ ]

小六の娘と結婚してたってことは 黒田家とは一時は縁戚だったんですね

如水のこと調べてて 降伏したから 名前だけは 知ってたんですけど

そこまで掘り下げてませんでした

丹羽様は 息子の代で 石高をガンガン減らされたから

離れざるを得なかった家臣も いたんだろうなぁ

(o ̄∇ ̄)σ[ランクリ・傑作]ポチ☆

2009/12/20(日) 午後 8:13 [ - ]

実際血縁での繋がりも限界がありますからね…やはり最後は人望なんだと思いますw黒田如水に可愛がられた位ですからかなり優秀な逸材だったと思いますよw朝鮮出兵時…加藤清正らと重傷を負いながらも奮闘したのに…元々福原や熊谷と同じ軍目付だっただけにトバッチリで目をつけられたのは残念です…これも運命なんでしょうね…

2009/12/21(月) 午後 4:01 まるこ

豊臣秀吉の古参譜代は本当にみんなで婚姻関係を結んで結束を強めてましたからね!!新参者で古参の家臣団を持たないから仕方なかった事なんでしょうね…でも丹羽Jrは120万石位から9割引の大減封でしたからね…家臣も主家に気を使って「暇願い」を出したんでしょうね…

2009/12/21(月) 午後 4:05 まるこ

思い出したんですが 中川の竹田城(岡城)は

滝連太郎の荒城の月のモデルでしたね(*´∇`*)


新年最初は こちらの記事を参考資料に させていただきます〜(*´∇`*)

携帯からなんで後日村ポチします

2009/12/28(月) 午後 10:48 [ - ]

竹田城は別名「岡城」…まさに滝連の荒城の月のモデルとなったお城ですw新年一発目の記事に取上げて頂けるなんて本当に光栄ですw有難うございますw

2009/12/30(水) 午後 3:27 まるこ

新年 一発目アップ終了〜〜

参考資料としてリンクさせていただきました

トラバします〜〜

2010/1/3(日) 午後 2:31 [ - ]

今年も引続き宜しくお願い致しまーすw早速拝見させて頂きまーすw

2010/1/3(日) 午後 5:32 まるこ

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