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天文23年(1554年)斎藤道三が家督を長男義龍へ譲り隠居します! 父ト全は斎藤義龍に引き続き仕えますw 弘治元年(1555年)斎藤義龍が弟達を殺害し斎藤道三に対して挙兵します!! この時は父ト全は斎藤義龍側に立って戦います… 弘治2年(1556年)4月20日斎藤道三が享年63歳で討ち死にします…永禄3年(1560年)5月19日桶狭間の戦いで今川義元が享年42歳で死去します…永禄4年(1561年)5月11日斎藤義龍が享年35歳で死去します…父ト全は斎藤龍興に引き続き仕えますが…暗君過ぎて愛想を尽かします…永禄7年(1564年)竹中半兵衛が一時稲葉山城を占拠します!! 永禄8年(1565年)5月19日13代将軍足利義輝が享年30歳で暗殺されます…永禄9年(1566年)頃より斎藤家を離反し織田家に仕え出す者が増えます!永禄10年(1567年)10月10日松永久秀が東大寺大仏殿を焼き払います!! 永禄10年(1567年)父ト全が稲葉一鉄と安藤守就の3人で織田信長の稲葉山城攻めに内応して美濃斎藤家を離反し織田家に仕えます!!その際に長兄直昌と次兄行広と3人も織田家に仕え出します!
永禄10年(1567年)斎藤龍興が美濃国を追放されますw 永禄12年(1569年)父ト全が北畠具教征伐に参陣し活躍します! 元亀元年(1570年)6月姉川の戦いに父ト全が参陣し活躍します! 元亀2年(1571年)父ト全が伊勢長島攻めで柴田勝家配下で従軍します!! そんで織田軍が撤退する時に父ト全は殿軍を務める事になります!! でも…激しい一揆勢の反撃を受けて父ト全は必死で戦いますが… 元亀2年(1571年)5月12日父ト全が享年59歳で美濃石津にて戦死します…そんで長兄直昌が家督を継ぎ織田信長に仕え美濃国大垣城主となりますw元亀4年(1573年)4月12日武田信玄が享年53歳で死去します…元亀4年(1573年)長男元高が誕生しますw天正元年(1573年)一乗谷の戦いで長兄直昌が旧主斎藤龍興を討取る活躍をします!!元亀4年(1573年)7月15代将軍足利義昭が京都を追放されます!!天正5年(1577年)10月10日松永久秀が享年68歳で死去します…天正6年(1578年)3月13日上杉謙信が享年49歳で死去します…長兄直昌はその後も石山合戦や荒木村重討伐等に参陣して活躍しますw天正10年(1582年)3月甲斐武田攻めで信濃へ出陣し活躍します! 天正10年(1582年)6月2日本能寺の変で織田信長が享年49歳で死去します…長兄直昌と次兄行広と3人一緒にその後羽柴秀吉に仕えたんです!天正11年(1583年)賤ヶ岳の戦いに次兄行広と一緒に羽柴側として活躍しますw 天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに次兄行広と一緒に参陣します! 天正13年(1585年)1月14日義父山岡景隆が享年60歳で死去します…天正14年(1586年)12月25日豊臣秀吉が関白太政大臣に就任しますw天正16年(1588年)2月9日足利義昭が征夷大将軍職を辞任します!これによって正式に室町幕府は終焉を迎えるんですよ!天正18年(1590年)小田原征伐にも次兄行広と一緒に参陣し活躍します!! そんで戦後に従五位下・志摩守に叙任し近江・伊勢国内1万5千石の所領を拝領しますw この時次兄行広も伊勢国桑名2万2千石の所領を拝領しますw 天正20年(1592年)からの朝鮮出兵で次兄行広と一緒に肥前名護屋城に在陣します! 文禄2年(1593年)8月3日豊臣秀頼が誕生しますw 文禄3年(1594年)伏見城普請に参加します! 文禄4年(1595年)7月15日豊臣秀次が豊臣秀吉の命で享年28歳で切腹します…慶長2年(1597年)10月9日足利義昭が享年61歳で死去します…この頃に長女と宮津藩主細川忠興の次男興秋が結婚しますw慶長3年(1598年)8月18日豊臣秀吉が大坂城にて享年63歳で死去します…慶長4年(1599年)2月前田利家と徳川家康の対立が一時激化します!!慶長4年(1599年)閏3月3日前田利家が享年61歳で死去します…慶長4年(1599年)閏3月4日石田三成襲撃事件が勃発します!{慶長5年(1600年)5月3日会津征伐が陣触れされ次兄行広が参陣します! その際次兄行広に桑名城の守備全般を任せられます!! 慶長5年(1600年)7月17日石田三成らと毛利輝元を擁立し挙兵します!! 小山評定の際交通の要所である伊勢国桑名が西軍の手に渡るのを防ぐ為徳川家康に次兄行広が寺西直次と一緒に申出て引き返します!そんで次兄行広や寺西直次の軍勢と合流し桑名城に籠城します!徹底抗戦の筈だったんですが…伊勢国内に西軍の勢力が及び中立を貫こうとします!でも西軍勢力が余りにも巨大で泣く泣く次兄行広・寺西直次と一緒に西軍に味方します… この時に徳川家康の意思で本多忠勝が東軍に味方するように説得してます!! 慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原本戦で東軍が勝利します!!慶長5年(1600年)9月16日に叔父山岡景友らの攻撃と説得を受け降伏します…慶長6年(1601年)許され娘婿細川興秋に誘われ6千石で細川忠興の家臣となりますw 慶長8年(1603年)3月21日徳川家康が征夷大将軍に任官しますw 慶長8年(1603年)4月22日豊臣秀頼が内大臣に任官しますw これで豊臣家と徳川家の確執が生じます… 慶長9年(1604年)細川家の世継が娘婿細川興秋の弟忠利に決定します! 慶長10年(1605年)娘婿細川興秋が江戸に人質として行く事になります! でも…江戸に向う途中で突然逃げ出して行方不明になるんです… 細川忠興は不肖の息子興秋に激怒するけど…逆に長女には気を使ってくれたんですよ…長女を細川興秋と離縁させ公卿飛鳥井持信と再婚も段取りしてくれますw慶長10年(1605年)4月16日徳川秀忠が征夷大将軍に任官します! 徳川家康が従兄弟秀頼との会見を求めるけど淀殿が拒否し続けます!! 慶長10年(1605年)松平忠輝と豊臣秀頼が面会します!! 慶長16年(1611年)加藤清正らに守られ豊臣秀頼が徳川家康と会見します! 慶長17年(1612年)2月岡本大八事件が起きます…慶長18年(1613年)5月17日大久保長安事件が起きます!!慶長19年(1614年)方広寺鐘銘事件が起き片桐且元が大坂城を追放されます…その後…次兄行広や元娘婿細川興秋が大坂城入りをします!! 再三大坂城入りを誘われるけど拒否して家督を長男元高に譲り隠居します! この頃から体調を崩し寝込む事が多くなるんです… 慶長19年(1614年)月大坂の陣が勃発します!!慶長20年(1615年)5月8日次兄行広が享年70歳で自刃します…慶長20年(1615年)5月8日に大坂夏の陣が豊臣家滅亡で終結します…元和元年(1615年)6月6日細川興秋が伏見稲荷山東林院にて享年31歳で自刃します…元和元年(1615年)11月熊本にて享年65歳で死去します…その後子孫は熊本藩主として存続したんですw★☆★ちなみに…下画像は細川忠興最晩年の肖像画で行継じゃありません!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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子孫が細川藩士で続いて良かった
この人は自分の気持ちと裏腹に巻き込まれた気の毒な印象です
忠興と次男は関ヶ原の時(次男は、これが初陣)に
次男が後発で進軍中に安全策をとり戦を避けたのを
忠興に細川の武勇を落としたと叱責されて以来 不仲だったから(;^_^A(;^_^A
身内の揉め事に巻き込んでしまった事を詫びる気持ちが あったんでしょう(*´∇`*)
携帯からなんでポチは後日しますm(_ _)m
2010/2/7(日) 午後 4:15 [ - ]
保科媛サンの仰る通りですね…でも本当に人に恵まれてたと思いますw細川忠興の意外な一面も見れると思いますw
2010/2/7(日) 午後 10:22
大坂の陣が兄弟の命運を分けたんですね。
以外と冷酷なイメージがあった細川忠興の心優しい
気遣いに何だかほのぼのとしたものを感じました。
またイメージが変りました!
本当に知らない人物だっただけに勉強になります。
2010/2/11(木) 午後 10:44 [ わんこ ]
大坂の陣というより関ヶ原直後でほぼこの兄弟の運命は決まっちゃったと思います…細川忠興も結局は人の子ですねw
2010/2/16(火) 午後 1:45