『母を訪ねて3000円』

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名門の盛衰

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奥州藤原氏と黄金


 平安時代末期、百年の栄華を誇った奥州藤原氏。最後は源頼朝率いる鎌倉幕府軍三十万騎に滅ぼされました。この滅亡劇には多くの疑問があります。

 十七万騎と称される藤原氏の兵力はどこへ行ったのか?小競り合いがあったくらいで大会戦など起こらずあっさり滅ぼされます。戦国時代に換算すると藤原氏の領地はざっと三百万石、百万石でだいたい三万動員できますから十七万騎は大げさにしても総兵力八万から十万は動員できたはずなのです。
 それなのに、大軍を動員した形跡がないんです。百年間戦を経験してなかったので弱兵だったと主張する研究家もいますが、奥州は有名な馬の産地、日頃から鍛錬していたはずなのでけっして鎌倉武士に劣るとは考えにくいのです。

 それよりも最大の謎は、藤原氏の繁栄を支えた莫大な黄金はどこにいったのか?です。中尊寺金色堂に代表される通り独自の黄金文化を築いた藤原氏。宋に貴重な仏典を求めた時、代償として莫大な黄金を支払ったほどですから、どれだけ黄金を保有していたか不明です。
 頼朝は、戦功のあった結城氏に藤原氏の莫大な遺産を与えたそうですが、それがすべてではないように思います。といいますのも、奥州を支配下におさめた鎌倉幕府でしたが、その産金量はほとんどふえてないそうなのです。一説では東北の産金量だけでは藤原氏の繁栄をまかないきれないと言われています。

 奥州藤原氏を考える場合、安東水軍を抜きには考えられません。当時、安東水軍の活動範囲は日本海沿岸はもとより遠く宋や安南、シベリア沿岸まで及んでいたそうなのです。
 これは、推理作家高木彬光氏が、著書「成吉思汗の秘密」で述べておられた説ですが、奥州藤原氏を支えた黄金はシベリア産ではなかったかということです。そういわれると、黄金が入ってこなくなった理由も納得できます。そして藤原氏の兵力が忽然と消えた理由も。高木氏は義経に従って大陸に渡ったのではと推理しています。
 なるほど、説得力はあります。私自身としては半信半疑なのですがロマンがある話ですね。
 

転載元転載元: 鳳山雑記帳


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