『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

名門の盛衰

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足利氏一族


 lefty0210さんから疑問がでたので、室町幕府将軍家足利一族について簡単に紹介します。

 足利氏は八幡太郎義家の三男、源義国から始まります。義国は下野国足利庄を領有、子孫は足利氏を称しました。義国の長子、義重は渡良瀬川対岸の上野国新田郡を開発、新田庄を形成、新田氏の祖となります。

 足利庄を継いだのは次男の義康でした。新田氏、足利氏はともに義国流源氏の名門として並び立っていたのですが、両者に差がついたのは頼朝挙兵に対する態度でした。義康の子、義兼が1180年の挙兵以来、頼朝に付き従って側近として仕えたのに対して、新田氏は平家との深いつながりから、頼朝の再三の参陣要請を無視、中立を保っていました。やっと参陣したのは頼朝が関東を制した後でした。
 これにより頼朝に叱責された新田氏は、幕府内で重要な地位を与えられず無位無官に甘んじなければなりませんでした。その恨みが新田義貞挙兵につながりました。

 一方、足利氏は幕府有力御家人として幕府内で重きを置きました。北条氏が執権として実権を握ったあとも、源氏の名門である足利氏を無視できず姻戚関係を結んで取り込みます。
 足利氏は三河という東海道の要地の守護に任ぜられ、三河国は足利氏の第二の本拠地となります。細川・仁木・今川・一色・吉良の地に領地を持った一族はその地名を氏にします。
 他に畠山・斯波・桃井なども有力な足利一門です。こうしてみると、室町幕府の有力守護が皆足利一門出身であることが分かります。

 一方、山名・里見は新田源氏です。しかし、早くから宗家を見限り足利氏についたため準一門という扱いでした。
 俗に三管領四職と言われる室町幕府の重職を出す守護大名家がありますが、管領に交代で任ぜられた斯波・細川・畠山はみな足利一門。侍所頭人を出す四家のうち赤松・山名(これは準一門扱い)・京極(近江源氏佐々木氏)とともに足利一門の一色氏が入っています。

 これらの諸家は、室町時代を通して有力大名として存在します。しかし実力が物をいう戦国時代に入ると没落し、大名としてかろうじて残ったのは細川氏だけでした。細川氏も嫡流の細川京兆家(頼之・勝元をだした)は滅び、傍流の細川藤孝の家系が残ったのみですので実質はあまり変わりません。(思い出しました。京極氏も一時没落しますが高次の代に大名として残り幕末まで続きました。)

 こうして見てくると、名門が長期にわたって生き残っていく難しさを感じます。少なくとも万世一系で千数百年の歴史を持つ皇室は凄いと思います。
 
 

転載元転載元: 鳳山雑記帳

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