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幼名は「小太郎」で本名は「坪内光景」で通称は「将右衛門」って言うんですよw 近隣の蜂須賀城主蜂須賀正利の長男小六正勝とは幼馴染でしたw 天文11年(1542年)斎藤道三が土岐頼芸親子を追放し事実上の美濃国主になります! この頃に父勝定に勘当され松倉城を飛び出し義兄蜂須賀小六の元に身を寄せるんです!! さらに兄貴分の蜂須賀小六らと一緒に木曽川沿岸を中心に水運業に従事します!! これが「川並衆」で莫大な利益が生れてたんです! そんで美濃斎藤氏や岩倉織田氏・犬山織田氏等を点々とした独立勢力として頑張ります! 天文12年(1543年)1月2日蜂須賀氏家臣木下弥右衛門が享年35歳位で死去します…ちなみに…木下弥右衛門の長男は藤吉郎と言います!後の『豊臣秀吉』なんですw天文16年(1547年)9月織田信秀が大規模な稲葉山城攻めを行います!! だけど斎藤道三は籠城戦で織田軍を壊滅寸前にまで追い込んでるんですよ! 天文17年(1548年)斎藤道三の娘帰蝶と織田信秀の嫡子信長が結婚しますw 天文19年(1550年)5月4日12代将軍足利義晴が享年40歳で死去します…天文20年(1551年)3月3日織田信秀が享年42歳で死去します…天文23年(1554年)斎藤道三は60歳で家督を長男義龍へ譲り隠居します!弘治元年(1555年)に斎藤義龍が弟達を殺害し斎藤道三に対して挙兵します!! この時川並衆は一時的に斎藤義龍側に立って戦ったんです… 弘治2年(1556年)4月20日斎藤道三が享年63歳で討ち死にします…永禄3年(1560年)5月19日桶狭間の戦いで今川義元が享年42歳で死去します…永禄4年(1561年)5月11日斎藤義龍が享年35歳で死去します…永禄7年(1564年)に竹中半兵衛(重治)が一時稲葉山城を占拠します!!永禄8年(1565年)5月19日13代将軍足利義輝が享年30歳で暗殺されます…永禄9年(1566年)木下秀吉から義兄蜂須賀正勝と一緒に協力を嘆願されます!『美濃国墨俣に一夜城を築城して美濃斎藤家攻略の起点としたい!!』〜そんで義兄蜂須賀正勝と相談して川並衆総動員で協力します!!そんで作戦は大成功し墨俣に拠点を築く事が出来たんです!この頃から義兄蜂須賀正勝と一緒に織田信長の配下となるんですw その後…木下秀吉が墨俣城守備頭になった際…義兄蜂須賀正勝と一緒に与力になりますw また竹中重治もこの頃に木下秀吉の配下となってるんです! 永禄10年(1567年)10月10日松永久秀が東大寺大仏殿を焼き払います!! 永禄10年(1567年)斎藤龍興が美濃を追放され織田信長が併合しますw 永禄11年(1568年)9月観音寺城の戦いで木下秀吉配下で活躍しますw 永禄11年(1568年)9月30日14代将軍足利義栄が享年29歳で死去します…元亀元年(1570年)6月の姉川の戦いに参加し大活躍しますwその後は義兄蜂須賀正勝と一緒に木下秀吉配下として越前国手筒山城攻め・金ヶ崎城攻め・近江国横山城攻め・長島一向一揆攻め等数々の戦いに従軍して大活躍したんです!!
元亀3年(1572年)7月織田信長が5万の大軍で北近江侵攻を開始します!! 元亀3年(1572年)9月武田信玄が兵2万7千で上洛を開始します! 元亀4年(1573年)4月12日武田信玄が享年53歳で死去します…元亀4年(1573年)7月15代将軍足利義昭が京都を追放されます!!天正元年(1573年)9月1日近江浅井家が滅亡します…そんで羽柴秀吉が近江国長浜城主となり近江国内に領地を拝領しますw天正2年(1574年)羽柴秀吉が近江国内で人材発掘に励みますw 天正3年(1575年)5月長篠の戦いでも活躍しますw 天正5年(1577年)10月10日松永久秀が享年68歳で死去します…天正5年(1577年)より羽柴秀吉の中国征伐に従軍し活躍します!天正6年(1578年)3月13日上杉謙信が享年49歳で死去します…天正7年(1579年)6月13日竹中半兵衛重治が享年36歳で死去します…天正8年(1580年)石山本願寺が織田信長に降伏します!!天正9年(1581年)羽柴秀吉より播磨国三木3万石を拝領しますw 天正10年(1582年)5月8日から備中高松城攻めを従軍します!! 天正10年(1582年)6月2日本能寺の変で織田信長が享年49歳で死去します…天正10年(1582年)6月13日羽柴秀吉配下で山崎の戦いに従軍します!!天正11年(1583年)3月の賤ヶ岳の戦いに羽柴秀吉配下で従軍します!! 天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いが起き従軍します!! 天正13年(1585年)7月から四国征伐に出陣します!! 天正13年(1585年)7月11日豊臣秀吉が関白に就任しますw天正13年(1585年)8月従五位下・但馬守に叙任され但馬国出石5万3千に移封しますwちなみに…この頃より『前野長康』と名乗り出しますw 天正16年(1588年)4月14日後陽成天皇聚楽第行幸の際に饗応役を務めますw 天正18年(1590年)小田原征伐が行われ従軍します! 天正19年(1591年)1月22日豊臣秀長が享年52歳で死去します…天正19年(1591年)羽柴秀次附家老職筆頭に命じられます!天正19年(1591年)2月28日千利休が享年70歳で自刃します…天正19年(1591年)9月1日羽柴秀次に従い九戸の乱に従軍します!!天正19年(1591年)12月羽柴秀次が豊臣秀吉の養子となる関白に就任します! 文禄元年(1592年)からの文禄の役で渡航して活躍し帰国後に6万石を加増されますw 文禄2年(1593年)8月3日豊臣秀頼が誕生しますw この頃から豊臣秀吉と豊臣秀次の関係が悪化し出すんです… そんで次席家老木村重茲らと協力して関係改善に奔走するんです!! 文禄4年(1595年)7月3日豊臣秀次に謀反の嫌疑が掛けられます… そんで次席家老木村重茲らと協力して関係改善に奔走するんです!! 文禄4年(1595年)7月8日豊臣秀吉の命令で豊臣秀次が高野山に追放されます!! その後もいろんなところに働きかけ釈明に奔走します!! でも連座で【改易】となり長男景定と一緒に中村一氏の元に身柄を預けられます… 文禄4年(1595年)7月15日豊臣秀次が豊臣秀吉の命令で享年28歳で切腹します…その後豊臣秀吉より切腹を命じられて…文禄4年(1595年)8月19日に享年68歳で自害します…同じ日に…長男景定も切腹してるんですよ…余談ですが…関ヶ原の戦いで石田三成本隊で獅子奮闘の活躍をした「舞兵庫」こと前野忠康は娘婿です!
ちなみに…弟坪内利定は天正18年(1590年)から徳川家康に仕え出して最終的には坪内氏は6500石の大身旗本となり明治維新を迎えているんですよ! ★☆★ちなみに下画像は前野長康本人の肖像画です!★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw 【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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わぁ、こんなマニアックな武将の経歴を、よくここまで調べましたね!!
舞兵庫が娘婿なのは知らなかったww^^
弟の系統が残って良かった
ランクリポチ(▼・×・▼)ノ
2010/7/15(木) 午後 9:32 [ - ]
マニアックですかぁ?…ちょっとショックです…前野長康はまるこ家のご先祖様と一緒で川並衆仲間なんですよ!だから…まるこ家も稲田氏と一緒で蜂須賀家古参家臣として生涯豊臣秀吉の直臣となる事を固辞して阿波に渡ったんです…
2010/7/16(金) 午後 10:50
出石は何回も行きました。お城は素通りで蕎麦と出石神社に参拝しました。阿波の蜂須賀小六の墓もお参りしました。出石関連記事をTBmpポチさせてください。
2010/7/17(土) 午前 0:37
おはようございます。前野長康は本名では無いんですね。
初めて知りました。前野氏の事は名前しか知らなかったので
記事で勉強します。 ALLポチ☆です。
2010/7/17(土) 午前 5:29
熱田北条サン>TB有難うございますw出石には全く縁がなくて足を運んだ事はありません…蜂須賀小六正勝公の墓所には一度行ってみたいのですが…いつになる事やら…
2010/7/17(土) 午前 10:58
伊達殿>元々前野氏は桓武天皇の子安世を始祖とする良岑氏を本姓としてるんですよ!そんで前野又五郎忠勝って人物が坪内氏の娘サンと結婚し「坪内姓」を名乗った事に始まるんです!!婿養子ですねwそのご先祖の姓に肖って「前野姓」を名乗ったんですよ!!ちなみに…元々坪内氏は藤原利仁と輔世王女の息子叙用の子孫で加賀国守護国主富樫左衛門泰家の息子富樫長泰の子孫富樫藤左衛門頼定を始祖とするんで…富樫長泰の名前から肖って「長康」と名乗ったんです!
2010/7/17(土) 午前 11:08
おはようございます。前野氏のルーツはかなり由緒正しいですね。
マイナーな武将と言ってもルーツから見たらマイナーではないです。
これは十分見直す必要が有りそうですね。プログ村&
プログランキングポチです。
2010/7/18(日) 午前 6:52
ルーツが本当なら本当に由緒正しいんですが…戦国期は家系の売買もあった位ですから…自称や詐称の可能性がありますね!でも今一度脚光を浴びてもいい人物ですw文芸春秋から出てる『男の一生(遠藤周作著)』は前野長康が主人公の面白い小説ですよwぜひご覧になってみて下さいw
2010/7/18(日) 午後 10:56
おはようございます。なるほど 家系の売買があった事は初めて
知りました。ただもう少し見直されても良いと思います。そこで
遠藤周作が小説に書いた事はとても興味が有ります。一度
読んでみたいですね(^ー^) プログ村&プログランキングポチです。
2010/7/19(月) 午前 6:18
徳川家康に始まる徳川将軍家も清和源氏新田氏庶流得川氏の末裔を称してるけど…今川家から独立して三河国を統一し朝廷より「三河守」の官位を受領する際に系図の粉飾を行ってますし…『男の一生』ぜひ読んでみて下さいw
2010/7/19(月) 午後 11:19
前野氏に関わる本は・・・津本陽の「下天は夢か」、遠藤周作の「決戦の時」もありますよ。 日経に連載された「男の一生」が一番有名と思いますが。
2010/8/20(金) 午後 5:08 [ マイケル ]
コメ有難うございます!津本陽著「下天は夢か」は読んだ事ありますw遠藤周作著「決戦の時」はまだ読んだ事がないので…ぜひ読み比べてみたいと思いますw情報有難うございますw
2010/8/20(金) 午後 11:39
前田利家の妻、「まつ」さんの実家で、「まつ」さんの甥が、かの有名な・・土方勘兵衛勝久・・ですよね?。
新撰組の土方歳三より、大物ですね、この土方さんは。
土方さんの姉妹に、織田信長の側室がいて、息子も産んでます。本能寺の変の時、乳飲み子だったので、その織田家は高家として存続しました。なんてことで・・・前野さんは、面白い存在ですよね。
えーと、この土方さんが起こした「土方騒動」を、会津藩家世実紀の中から、取り出して、宇喜多秀家もふくめて、載せました(*^_^*)
遊びにきてください。(*^_^*)
涼しくなったので、猪苗代での大河ドラマ「江」のパネルディスカッションのポスターも、貼りました<m(__)m>。
2010/9/25(土) 午後 4:25