小西行長は肥後国宇土藩の最初で最後の藩主【加藤清正】のライバルで関ヶ原時西軍中核だったキリシタン大名ですw★記事が長くなったので2部構成で「小西行長【1】」の続きです!!慶長2年(1597年)講和交渉の汚名を晴らす為渡航し破竹の勢いで侵攻します!!南原の戦いに参陣後に全州を占領し全羅道方面を制圧するんです!! 慶長2年(1597年)8月28日足利義昭が享年61歳で死去します…慶長3年(1598年)8月18日豊臣秀吉が享年63歳で死去します…慶長3年(1598年)9月末からの順天倭城の戦いで明・朝鮮軍を撃退します!!でも…加藤清正とは作戦を巡って対立してばかりでした… 石田三成と大の仲良しって訳でもなかったんですが… 加藤清正ら武断派には石田三成ら吏僚派と一触端に見られてたんです… 慶長3年(1598年)12月に五大老の帰国命令を受けて帰国します!! そんで徳川家康の取次役を務めるんです!! 慶長4年(1599年)2月前田利家と徳川家康の対立が一時激化します!! この頃徳川家康から松平信康の孫娘と長男兵庫頭の結婚話を持ち掛けられます! でも…話は結局纏まらなかったんですが… 徳川家康は小西行長が有する強力で強大な水軍を味方につけようとしてたんです! 加藤清正ら武断派と対立してたんで…必然的に西軍に味方するんです! 慶長5年(1600年)5月会津征伐では大坂留守居を命じられます!! 慶長5年(1600年)7月17日石田三成が毛利輝元を擁立し挙兵します!! これに呼応し出陣し西軍の中核となるんです!! 慶長5年(1600年)9月14日に4千で関ヶ原に向います! 慶長5年(1600年)9月15日正午頃に小早川秀秋が西軍を裏切ります!! 脇坂安治・小川祐忠・赤座直保・朽木元綱ら総勢4千も突如東軍に寝返ります!! 大谷吉継隊が壊滅し裏切隊がそのまま宇喜多軍に猛攻を掛けて来ます!! 宇喜多秀家自ら槍を振るって踏ん張るけど…3万もの敵を抑える事が困難になります… そんで小西隊も小早川隊に猛攻の前に早々に壊滅しちゃうんですよ… 慶長5年(1600年)9月19日関ヶ原の庄屋林蔵主に見つかるんです!! 自身を捕縛して東軍に差出し褒美を貰うように林蔵主に勧めるんです! でも林は拒否し一旦自宅に匿い竹中重門家臣伊藤源左衛門と山田杢之丞両名に事情を話します!両名に護衛され草津に向かい徳川家康家臣村越直吉の陣に出頭するんです! 慶長5年(1600年)10月1日市中引き回しの後で六条河原に引き出されます!! 墓所は岐阜県垂井町の禅幢寺と大阪府堺市南区堺公園墓地内に供養塔があります… ちなみに…長男兵庫頭は戦後毛利輝元の独断で「大坂より安全な場所に移す」と騙されて… 慶長5年(1600年)長男兵庫頭が享年12歳で処刑されます…ちなみに…その後の子孫は…次男秀貞は幼少時から宇喜多家に預けられてて関ヶ原後に讃岐国に逃れ西蓮寺の初代住職になったと言われ子孫は今も存続してますwそんでもって3男浅山弥左衛門はその後加藤氏⇒有馬氏⇒黒田氏の家臣となってその後も存続したんですw ★☆★ちなみに…下画像は小西行長本人の肖像画ですw★☆★【にほんブログ村 江戸時代】←ポチっとしてくれると嬉しいw【ブログランキング】←ここもポチっとしてくれると嬉しいw
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清正との対立は深刻だったみたいで
どの時は覚えてないけど、小西は朝鮮側に清正の軍行動を教えて
あわよくば戦死を望んでた
朝鮮側が小西の情報を罠だと思って、動かなかったから清正は無事だったけど
宇土城に留守として残した弟と、その配下を関ヶ原に連れて行けたらなぁ〜
全体の結果は変わらなくても、奮戦ぶりが違う形で歴史に残ったかもしれない
清正が本国に残ったから、優秀な軍人だった弟が留守になったけど。。。
清正は小西弟に勝てなかった・・・弟を関ヶ原で戦わせてみたかったな
長男の処刑は、後味悪すぎ・・・まぁ輝元らしいけど^^;
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2010/8/9(月) 午後 9:22 [ - ]
おはようございます。小西行長は戦いより交渉事が
得意だと思います。それと加藤清正との対立は結局豊臣家の
分裂につながるものになったと思いますね。ただ宇土城に残った
行景は強かったようで清正もかなり苦戦してます。最期は
潔く自決したようですね。誠に惜しい人物を失ったと思います。
ALLポチ☆です。
2010/8/12(木) 午前 7:47
加藤清正の行軍予定を朝鮮側に知らせたんですよね!!だから…もし朝鮮側が信じて出陣したら加藤清正は間違いなく討ち死にしてたでしょうね…だけど…罠だと思って結局朝鮮側は出陣しなかったんですよね!!
2010/8/13(金) 午後 3:29
小西行長は商人の出自だけに交渉術は並外れてたと思いますw若い時に宇喜多直家の外交担当を務めてたくらいですし!豊臣政権下での対立がなければ…
2010/8/13(金) 午後 3:31
おはようございます。小西行長は平時にも活躍出来る
人物だと思いますので、江戸時代に生きていても間違いなく
重要な仕事をしたと思います。これは石田三成と同じかも
しれないですね。プログ村&プログランキングポチです。
2010/8/14(土) 午前 5:13
やはり生れた時代が悪かったんでしょうね…惜しいです…
2010/8/14(土) 午前 8:20
おはようございます。人物を生かすのは時代背景も大事ですよね。
ただし、これだけは人の力ではどうにもならないのが辛いですね。
プログ村&プログランキングポチ☆です。
2010/8/19(木) 午前 6:41
そう考えると…やっぱり「運命」って事なんでしょうか…それにしても運命って皮肉なもんですねw
2010/8/20(金) 午後 11:45
おはようございます。いくら英雄でも生まれる時代まで
コントロールは出来ないのでまさに皮肉ですね。それでも
時代に対応して生き抜く力は凄いと思います。プログ村
&プログランキングポチです。
2010/8/21(土) 午前 6:54
時代が英雄に味方した時に…真の英雄になれるんでしょうね!まさに豊臣秀吉・徳川家康とかがそんな感じですかね!
2010/8/22(日) 午後 2:40
おはようございます。時代を味方に出来たらかなり有利だと
思います。やはり時代の先頭に立たないと時代を動かす事は
無理ですね。その点伊達政宗は生まれる時代が遅すぎましたね。
これでは奥州が精いっぱいだと思います。逆によく奥州を
まとめたとも言えますね。
2010/8/23(月) 午前 7:07
プログ村&プログランキングポチをしていきます。
まだ残暑が厳しいと思いますが、体調には注意してくださいね(^ー^)
2010/8/23(月) 午前 7:24
確かに仰る通りだと思います…題名は忘れたんですが「IF的な小説」で伊達政宗が天下を最終的に獲るものがありましたw想像以上に面白い内容でした!もしかすると…既にご存知かもしれませんが題名等詳細を思い出したらお知らせしますw
2010/8/23(月) 午前 8:30
小西行長関係で二件TBさせていただきました。
2010/11/12(金) 午後 5:53 [ 鳳山 ]