『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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信濃小笠原一族

名門の盛衰

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/21(水) 午後 11:06

小笠原 吉次

=== 小笠原吉次は常陸国笠間藩の最初で最後の藩主 === === 武田信玄に敵対した信濃守護小笠原長時の嫡孫ですw === {{{'''天文17年(1548年)に信濃守護小笠原長時の長男長隆の長男として誕生しますw'''}}} {{{'''天文17年(1548年)7月に祖父長時が信濃国諏訪郡に大軍で侵攻します!'''}}} {{{''�...

小笠原 吉次

取潰されたお殿様

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/21(水) 午後 11:04

信濃小笠原一族

     武田信玄を描いた小説などでやられ役として登場する信濃守護小笠原長時。たしかに小笠原氏は信濃守護でありながら強固な支配権を築いたわけでもなく、同族が争い大塔合戦で信濃国人連合との合戦で大敗したことで衰退し、塩尻峠で武田軍に完敗したことで一時滅亡しました。    しかし甲斐源氏の名門で鎌倉以来信濃に勢力を張った一族であるのは事実。調べていくと小笠原氏は不運が重なって守護から守護大名に成長できなかった面もありました。私は...

足利 義尋

取潰されたお殿様

[ 速報記事、ニュース記事のまとめサイト ]

2010/4/21(水) 午後 7:07

織田信長 次男

本能寺の変で織田信忠(信長の次男)が殺されたあと大阪にいた織田信考や中国地方に.... 本能寺の変で織田信忠(信長の次男)が殺されたあと大阪にいた織田信考や中国地方にいる織田信澄はその報を聞いても動く気配すら感じさせていません。特に信孝(三男当時23歳)については軍を動かせたのにまるっきり動こうとしてません。お守りに丹羽長秀がついててこの信孝に関しては1万からの軍勢(信長の直元、こちらもお守りのよいなもの)を動かせたにも関わらずにです。当然上様に謀反を起こした輩を討伐するのは大儀名分がつきますし

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/20(火) 午後 11:12

吉良 義周

=== 吉良義周は三河国吉良荘45百石の第4代目(最後)の高家旗本 === === 祖父は【忠臣蔵】の敵役で有名な高家肝煎吉良上野介義央ですw === === 実父は第4代目の【米沢藩主上杉綱憲】ですw === === 高家は1万石未満の石高だけど10万石超格の大名と同格だったんです! === {{{'''貞享2年(1685年)2月22日に[http://blogs.yahoo.co.jp/me468646/24977076.html 米沢藩]主上杉綱憲の次...

吉良 義周

取潰されたお殿様

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/20(火) 午後 11:11

奥州(武蔵)吉良氏の興亡

   足利一門の名家吉良氏。「御所が絶えれば吉良が継ぎ、吉良が絶えれば今川が継ぐ」とまで言われながら本拠三河の守護でさえ定着せず、興隆する他の一門を眺めながら緩やかな衰退の道を辿りました。    しかし吉良氏とて決してチャンスがなかったのではありません。信濃守護にもなっているし、奥州探題として一時は絶頂期さえ迎えているのです。それでも守護大名として成長しなかったのは歴代当主が凡庸だったのでしょう。運もあったと思います。   ...

足利 義尋

取潰されたお殿様

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/19(月) 午後 4:31

足利氏一族

 lefty0210さんから疑問がでたので、室町幕府将軍家足利一族について簡単に紹介します。  足利氏は八幡太郎義家の三男、源義国から始まります。義国は下野国足利庄を領有、子孫は足利氏を称しました。義国の長子、義重は渡良瀬川対岸の上野国新田郡を開発、新田庄を形成、新田氏の祖となります。  足利庄を継いだのは次男の義康でした。新田氏、足利氏はともに義国流源氏の名門として並び立っていたのですが、両者に差がついたのは頼朝挙兵に対する態度でした。義康の子、義兼が1180年の挙兵以来、頼朝に付

足利氏一族

名門の盛衰

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/19(月) 午後 4:30

足利 義尋

=== 足利義尋は山城国槇島藩の第2代目(最後)の藩主 === === 室町幕府最後の将軍【足利義昭】の嫡男ですw === {{{'''元亀3年(1572年)8月15日室町幕府征夷大将軍足利義昭の嫡男として誕生しますw'''}}} {{{'''父義昭には正室がいなかったんで『嫡子』とされ将軍世継として育てられたんです!'''}}} {{{ この頃…父義昭と織田信長...

鍋島 正茂

取潰されたお殿様

[ お気楽☆歴史館 ]

2010/4/18(日) 午前 11:45

プロローグ〜江上・八院合戦編1〜宇喜多秀家物語86

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美濃土岐一族

名門の盛衰

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/15(木) 午前 7:47

土岐 頼知

=== 土岐頼知は幕末の上野国沼田藩の第12代目(最後)の藩主 === {{{'''第9代目藩主土岐頼功の3男として嘉永元年(1848年)江戸で誕生し幼名は英之助です!'''}}} {{{'''官位は従五位下・隼人正なんですよ!'''}}} {{{'''1867年4月16日先代藩主土岐頼之が病気を理由に隠居したんで19歳で家督を継ぎます!''...

土岐 頼知

幕末のお殿様

[ 『母を訪ねて3000円』 ]

2010/4/15(木) 午前 7:47

美濃土岐一族

       鎌倉、室町時代を通じて美濃(現在の岐阜県)に勢力をはり、室町時代には美濃守護として幕府に重きをなした土岐氏。その末期には権臣斉藤道三に乗っ取られます。    土岐氏はどのようにして誕生し、滅んだのでしょうか?私はややマイナーながらこの一族に興味を覚えました。    土岐氏は、 酒呑童子 伝説で有名な摂津源氏源頼光五世の子孫、光信が美濃国土岐郡土岐郷に居住して土岐氏を名乗った...


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