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剣豪将軍の最期
気になる人物
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/6(火) 午前 7:32
足利氏一族
lefty0210さんから疑問がでたので、室町幕府将軍家足利一族について簡単に紹介します。 足利氏は八幡太郎義家の三男、源義国から始まります。義国は下野国足利庄を領有、子孫は足利氏を称しました。義国の長子、義重は渡良瀬川対岸の上野国新田郡を開発、新田庄を形成、新田氏の祖となります。 足利庄を継いだのは次男の義康でした。新田氏、足利氏はともに義国流源氏の名門として並び立っていたのですが、両者に差がついたのは頼朝挙兵に対する態度でした。義康の子、義兼が1180年の挙兵以来、頼朝に付
足利氏一族
名門の盛衰
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/6(火) 午前 7:32
剣豪将軍の最期
永禄八年(1565年)5月19日、清水寺詣でと称する一万二千もの大軍が京に入りました。率いるのは松永久秀と三好三人衆(三好長逸、三好政康、岩成友通)らです。 この軍勢は清水寺には向かわず足利十三代将軍義輝の住む二条御所に向かいます。ひたひたと御所を囲む三好、松永らの旗印を見て義輝は死を覚悟しました。 実力者、三好長慶の死後幕府の権威復活を目指していた義輝と、引き続き幕政を牛耳ろうとしていた松永・三好三人衆(長慶の家老)との対立は先鋭化していました。しかし世間の人は、まさか将軍は襲い
三好長慶 − 天下を取れなかった畿内の覇者 −
気になる人物
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/5(月) 午後 11:33
阿波小笠原・三好一族
室町時代から戦国時代にかけて、管領細川氏の家宰、阿波守護代として台頭してきた三好氏。一時は長慶のとき阿波・讃岐・淡路・摂津・河内・和泉・大和・山城の八カ国にまたがる大勢力を誇りましたが、その滅亡もまたあっけないものでした。 三好氏は小笠原一族だと伝えられています。阿波と信濃守護で有名な甲斐源氏小笠原氏となぜ関係が?と疑問に思ったのですが調べてみると鎌倉時代小笠原氏は阿波守護を歴任...
三好長慶 − 天下を取れなかった畿内の覇者 −
気になる人物
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/5(月) 午後 11:32
三好 房一
=== 三好房一は河内国内1万石の最初で最後の藩主 === === 管領【三好長慶】の家臣【三好康長】の元家臣で阿波三好家一門ですw === {{{'''天文23年(1554年)阿波三好家一門三好長房の長男として誕生しますw'''}}} {{{'''永禄元年(1558年)京都霊山の戦いで父長房が活躍します!'''}}} {{{'''...
三好 房一
取潰されたお殿様
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/5(月) 午後 11:32
三好長慶 − 天下を取れなかった畿内の覇者 −
戦国時代中期、京の主人は三好長慶でした。最盛期には五畿内(山城、大和、摂津、河内、和泉)と淡路、讃岐、阿波の八ヶ国に勢力を張りざっと250万石を領する大勢力でした。 とうぜん、天下を取る実力があったにもかかわらず何故かあっけなく滅びます。畿内の覇者でありながら天下を取れなかった男、三好長慶をご紹介します。 三好氏は、一時阿波の守護だった甲斐源氏小笠原氏の流れだと伝えられます。管領細川氏に仕え代々阿波の守護代でした。長慶の父、元長も幼君細川晴元を補佐し、管領就任に大きく貢献しました。
尼子氏と鉄交易
名門の盛衰
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/4(日) 午後 11:39
尼子 久贇
=== 尼子久贇は幕末の志士(水戸藩士) === {{{'''弘化3年(1846年)父[http://blogs.yahoo.co.jp/me468646/23761357.html 水戸藩]士尼子長三郎久恒と母神戸信重の女の長男として誕生!!'''}}} === 戦国時代に山陰地方に覇を唱えた戦国大名尼子氏の末裔ですよ!! === {{{'''本姓は「源氏」で通称は「久次郎・長蔵」ですw'''...
尼子氏と鉄交易
名門の盛衰
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/2(金) 午前 7:38
尼子経久 − 梟雄と呼ばれた男 −
出雲の戦国大名尼子氏、西国の大大名大内氏と中国地方の覇権を争い最後は毛利元就に滅ぼされることになる大名家です。 ライバルの大内家が、鎌倉以来着々と中国地方に勢力を扶植し大勢力になったのと比べると、尼子氏はただ一代で勃興した新興勢力でした。それを成した人物、尼子経久をご紹介しましょう。 尼子氏は、もともと出雲国の守護代でした。主家京極氏が東軍に属したため、応仁の乱では、隣国山名氏の侵略をうけます。当時の守護代は経久の父、清定でした。勇猛で知られる彼のおかげで出雲は守りぬかれました。
尼子経久 − 梟雄と呼ばれた男 −
気になる人物
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/4/2(金) 午前 7:37
尼子氏と鉄交易
戦国時代、周防の大内氏と中国地方の覇権を争った尼子氏。最盛期には中国八か国に勢威を振い石高も百万石を軽く超えていたといいます。 しかしよく良く調べてみると、直轄領として数えられるのは本拠の出雲の他は伯耆、美作くらいであとは国人領主を支配下に置いたか、酷いのになると一部に尼子方がいるくらいでとても一国支配とは言えないケース(石見、安芸など)もあるくらいです。 一応信頼できるデーターとして寛永期の検地高を見てみると出雲22万石、伯耆13万石、美作22万石で合計58万石(隠岐は島国で
大内氏の滅亡と厳島の合戦
名門の盛衰
[ YAMINABE ]
2010/3/31(水) 午前 9:24
第一五計 『調虎離山』 ─ 後編
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大内氏の滅亡と厳島の合戦
名門の盛衰
[ 『母を訪ねて3000円』 ]
2010/3/31(水) 午前 0:17
山口 重政
=== 山口重政は常陸国牛久藩の初代藩主 === === 戦国初期の西国有力大名【大内氏】の分家になるんですよw === {{{'''永禄7年(1564年)2月25日に織田氏家臣山口盛政の長男として誕生しますw'''}}} {{{'''お母サンは今川氏家臣岡部正房の娘サンですw'''}}} {{{'''子供がいない親戚の尾張国寺辺城...



