『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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今回は戦国史上では地味の部類(←スイマセン)に入るかもしれませんが……

名門の生まれではありましたが生涯想像以上の苦労人ですw

『佐々成政 ― 己れの信念に生きた勇将』 郡順史著 PHP文庫



佐々氏は尾張国春日井郡比良城に拠った土豪で宇多源氏佐々木氏の一族ですw

兄達の相次ぐ死により家督を継ぎましたw

信長公記首巻によれば成政は織田信長暗殺を企んだ事があったというが

信長の馬廻りから戦功を重ねて頭角を表し黒母衣衆の筆頭に抜擢されたんですw

成政は鉄砲の扱いに長けていたと言われ長篠の合戦では鉄砲隊を率いて活躍しましたw

のちに北陸方面軍柴田勝家の与力となり前田利家・不破光治と共に越前府中3万3000石を

与えられ小丸城を築いて居城とし府中三人衆と称されてたんですねw

府中三人衆は柴田勝家の与力とはいえかなり独立した織田軍の遊撃軍的存在で

石山本願寺攻めや播磨平定・荒木村重征伐等に援軍として駆り出されることが多かったみたいです!

そんな中本能寺の変で織田信長が倒れると一時は殉死も考えちゃうんですが・・・

次の天下人として台頭して来た豊臣(当時は羽柴姓)秀吉の天下奪取に

織田信長への忠義の念から抵抗し続けたのがこの佐々成政なんですねw


『なんとしても家康に逢い秀吉討伐に立たねばならぬ。
   それには敵陣の中越中から真冬の北アルプスを越えて行かねばならない』
             佐々成政は必死の形相の従臣たちに向かってこう言い放った。

     「佐々の存亡はこの一事にかかっている。皆の生命をわしにくれ」と―。


今の富山県から静岡県迄厳冬の北アルプス立山山系を越えて踏破するという壮挙を成し遂げたんです!

これが世に言う「さらさら越え」ですwww

この翌1585年秀吉自ら越中征伐に乗り出し富山城を10万の大軍で包囲

成政は織田信雄(織田信長の次男)の仲介により降伏しました!

秀吉の裁定により一命は助けられたものの越中国東部の新川郡を除く全ての領土を没収され

妻子と共に大坂に移住させられ以後御伽衆として秀吉に仕えたんです…かなりの屈辱でしょう…

1587年の九州平定で功をあげた事を契機に肥後国(熊本県)一国を与えられましたw

そこで太閤検地を行おうとするが反対の国人一揆が起こり失政の責めを受け

摂津国尼崎法園寺にて切腹させられたんです…享年53歳…(T_T)


武人としての誠実さに殉じた男の生涯を描く書き下ろし歴史小説です…悲運の武将です…

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