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ヴァレンヌ事件はヴァレンヌ逃亡事件とも呼ばれる フランス革命の先行きを憂慮していたルイ16世は 立憲君主派のオノーレ・ミラボーの死を機に 后マリー・アントワネットの実家であるオーストリアに逃亡することを企てたんですよ!! マリー・アントワネットはその後実家はもとより ――― 血族のいる諸外国武力による手助けを得て
フランスの革命派鎮圧を目論んでたという説もあるんですw
当時はフランス国外へ逃亡する貴族も多く 変装してそれに見せかける予定だったんです…1791年6月20日の夜 ――― ルイ16世一家は荷物をまとめて軟禁状態にあったテュイルリー宮殿を馬車で後にしましたw その背後にはアントワネットの愛人であるスウェーデン貴族フェルセン伯爵の策謀があって 彼は国王一家の逃亡費用として現在の日本円に換算して総額120億円以上を自腹で出資したんですよ! さらに当初マリー・アントワネットの言い分を認め馬車のサイズや内装を特注にしたことなどにより その時点で脱出が予定より1ヶ月以上遅れちゃってますぅ……急いで〜〜〜!!! この日は結局フェルセンにとっての運命の日となってしまうんです!! 翌日銀食器やワイン8樽・調理用暖炉2台などの過積載により 馬車の速度は全く出ず予定より4時間以上も遅れて国境近くのヴァレンヌに到着した為に 事前に雇用した憲兵が国王一家は来ないと思って全員解散し帰還した後だったんですよ! 事情を知らない国王は地元の住人に訳もわからずに尋ね歩いちゃうんですねw でも…変装していたにもかかわらず正体を見破られフランス軍に捕らえられて 6月25日テュイルリー宮殿に連れ戻されるんですね……まさに行って来いです…… 僻地ヴァレンヌの住人に『国王の顔が判明した理由』は ――― この事件の少し前に国家財政の赤字解消のために紙幣の大量造幣が行われたんですよw この事件はフランス国民に多大な衝撃を与えましたw だって国王自身が国を捨てようとしたんですからっ!!! 同時にルイ16世の反革命思考が暴露されることにもなっちゃいます! 結果それまでは比較的多数を占めていた国王擁護の立場をとっていた国民も含めて 革命は急進化し共和政の樹立につながることになったんです… ちなみにテュイルリー宮殿はのちにナポレオン・ボナパルトが再び王宮としましたが
1871年のパリ・コミューンの際に焼失し現在では庭園のみが当時の面影を伝えてますw その跡地にはルーヴル宮殿が建っていますよ!(画像) |
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2005年11月16日
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