ハプスブルグ家と300年の長きに渡り敵対するブルボン朝の第3代フランス王ですwルイ13世の嫡子で奥サンはスペイン王フェリペ4世の娘のマリア・テレサwブルボン朝最盛期の王で「太陽王」と呼ばれたんです!「朕は国家なり (L'état, c'est moi)」は有名な言葉ですねwルイ13世が王妃アンヌ・ドートリッシュを迎えてから23年目にしてやっと生まれた長子であり 宰相リシュリューやマザランの子であるとの噂もあるが どうやらリシュリューが一方的に思いを寄せてたみたいです…片思い… 彼が「王妃が自分の好意に応えてくれない」と書いた日記も発見されてます…恥ずかしっ… またアンヌがルイ14世を妊娠した1637年12月5日は まだマザランがイタリアにいた時期でありこのマザランが父親という話の方も単なる噂話ですね! 当時ブルボン王家の男子はルイ13世の舎弟オルレアン公ジャン・バプリスト・ガストンのみで ブルボン家はルイ14世の誕生で辛うじて命脈をつないだんですw 父王の死後は幼くしてフランス国王に即位し母后アンヌが摂政となり リシュリューに代り宰相となったマザランの補佐を得てフロンドの乱を鎮圧してますw 1659年にスペイン王女マリー・テレーズと結婚!!1661年にマザランが死ぬと宰相を置かずに親政を開始するんです!高等法院の建言権を制限してコルベールを登用し治世術を勉強し中央集権と重商主義政策に基づき ボシュエの唱える王権神授説ガリカニスムを掲げ絶対王政を確立してます…難しい… フランス国内のプロテスタントやジャンセニストに対しては 礼拝の制限や官職やギルドからの追放など弾圧を行い 20万に及ぶ新教徒はヨーロッパ各国や新大陸(アメリカ)に亡命結果的にフランス資本の海外流出を招いちゃいますwルイ14世は国内には新教徒は存在しないとして 1685年にはフォンテーヌブロー王令を下してナントの勅令を廃止しちゃいます! フランスに残った新教徒の反乱であるカミザールの乱に対しては武力鎮圧を加えてます… 軍制を整備しフランドル戦争(1667〜1668年)・ネーデルラント(オランダ)戦争(1672年〜1678年) ファルツ継承(アウクスブルク同盟)戦争(1688年〜1696年)・スペイン継承戦争(1702年〜1713年)等に 参加して領土を拡張と国境の画定を行ってますw 対外戦争はフランスの国益にもなるけど徴兵による民兵制度や食糧問題でフランス国民は疲弊し ルイ14世の覇権主義は新教徒弾圧と合わせて周辺諸国からの警戒を呼んじゃうんですよw 死後は曾孫に当たるルイ15世が王位を継承し甥のオルレアン公フィリップが摂政に着いてますw
http://ja.wikipedia.org/upload/thumb/4/49/Chateau-de-versailles-cour.jpg/275px-Chateau-de-versailles-cour.jpg
ルイ14世はパリにヴェルサイユ宮殿(上画像)を建設しラシーヌやボワローなどの詩人を優遇するなど文化の興隆も見たが 戦費調達のための新税や放漫経営が国家財政を苦しめるようになるんですねw この事が早くも後年フランス革命の遠因となちゃってます… |
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2005年11月21日
全1ページ
[1]
|
ブルボン家(Bourbons)はヨーロッパの王家でカペー家の支流のひとつ ブルボン(Bourbons)の語源はケルト語で「泥 BorvoもしくはBorbo」の意味ですw ルイ9世の第6子であるロベールの子がブルボン公を称しヴァロア家断絶の後を受けて アントワーヌがナバーラ王位を得てその子アンリ4世のときフランス王位を継承 ルイ14世のとき絶対君主制を確立!!!!!フランス革命で一時中断するけど復古王政の後の1830年の7月革命をもって嫡流はフランス王位を失ってます… 現在は2家が残ってそれぞれにフランス王位を主張し うち一方がパリ伯爵の称号を他から認められているんですよ! ルイ14世の孫フェリペ5世がブルボン朝スペインを興したんです1931年にアルフォンソ13世が退位して王家としては一時断絶したけど1975年に孫のフアン・カルロス1世が即位して王制が復活したw これが現在のスペイン国王なんですよ!! http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/dc/Juan_Carlos_2004.jpg フアン・カルロス1世(左)とソフィア王妃(右) TOP画像はスペインの国旗です! 真中の帯にある紋章はブルボン家の紋章を囲むデザインの国章ですw http://ja.wikipedia.org/upload/d/d4/Spain_coat.png 国章の拡大 イタリア南部のナポリ王国とシチリア王国はもともとアラゴン王国の支配下にあったけど アラゴン家がスペインと合体することによってスペイン王家の支配を受けるようになったんですw ナポリとシチリアは形式的に分かれているだけでどちらもスペインの支配下にあって フランス・ブルボン家がスペイン王となるとブルボンの支配はこれら王国にも及んでますw ところがスペイン・ブルボン家初代フェリーペ5世即位後勃発したスペイン継承戦争で オーストリアがナポリ・シチリアを占領しちゃいます…オーストリアの支配は1707〜1734年まで続いてます!ポーランド継承戦争中フェリーペ5世の王子でパルマ公ドン・カルロスが武力でナポリ・シチリアを奪回しナポリ王国・シチリア王国のカルロ7世となったんです! ここにブルボン家は南イタリアをも獲得したことになんですけど その後カルロ7世はスペイン王位に即位してカルロス3世となり ナポリとシチリアは息子のフェルディナンドに譲ってますw これがナポリ王フェルディナンド4世(シチリア王フェルディナンド3世)ですw
19世紀初めのナポレオン戦争でナポリは一時フランス帝国の支配下に落ちたけど 1816年ウィーン条約によって奪回され両シチリア王国として再出発したんです… ナポリ王フェルディナンド4世(=シチリア王フェルディナンド3世)は 両シチリア王フェルディナンド1世となったんです… 両シチリアのブルボン家は4代続きましたけど 1860年ガリバルディに征服され統一イタリア王国に併合されちゃいました… |
全1ページ
[1]



