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2005年11月30日
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1868年5月18日アレクサンドル3世とその皇后マリア・フョードロヴナ(デンマーク王女)の長男として生まれてますw皇后はアレクサンドラw子にはアレクセイ皇太子・オリガ皇女・タチアナ皇女・マリア皇女・アナスタシア皇女がいましたw 26歳で近代化に悩むロシアの皇帝に即位することになるんですw同年にドイツのヘッセン・ダルムシュタット公の娘でイギリスのヴィクトリア女王の孫娘でもあるアレクサンドラと結婚してます! ニコライ2世は初め父の政策を受け継いで蔵相ウィッテを重用したけどこれを退けてます!先祖伝来の積極外交政策を継承して満州の権益獲得や遼東半島の租借等で極東への進出を確実に押し進めるけど同じ頃朝鮮半島に勢力を延し始めた日本と利害が対立し出し1904年に両国の間に日露戦争が勃発!莫大な戦費や戦役に苦しんだ民衆が1905年1月に血の日曜日事件を起こすとニコライ2世はウィッテを再登用して戦争の早期終結に当たらせますw10月にはゼネストが発生すると皇帝の専制権が残存する憲法を発布して国会開設を国民に約束しますw国会が開催され初代首相にストルイピンが登用されたけど後にニコライ2世は彼と対立して罷免しちゃいますw 同じ頃皇帝夫婦は当時不治の病であった血友病患者アレクセイ皇太子の将来の身を案じてますwある時ラスプーチンという祈祷僧が宮廷に呼ばれてラスプーチンが祈祷を施すとアレクセイ皇太子の病状が好転したんだって!!この事からアレクサンドラ皇后が熱烈にラスプーチンを信用するよーになり愛妻家であった皇帝も皇后に同調!その後もラスプーチンは度々宮殿に呼び寄せられ皇太子の命を救うw皇帝一家がラスプーチンを「我らの友」と呼び絶大な信頼を寄せた事からラスプーチンもいつしか政治に迄口を挟むようになっちゃってました… 1914年6月に第一次世界大戦が勃発するとロシアは連合国に参加してドイツと戦いを開始!近代兵器を擁するドイツに大敗した事から彼は司令官ニコライ・ニコラエヴィチ大公を罷免し自ら前線に出て指揮を執ります!皇帝不在の都ペテログラードでは彼から留守を託されたアレクサンドラ皇后とラスプーチンが政府を主導w人気のない2人に対し貴族〜民衆迄がドイツ女・怪物と蔑んで憎悪の対象としてます! 1916年12月ラスプーチンが暗殺され翌年1月に改善しない戦況に苦しむ民衆が蜂起!軍隊の一部も反乱に合流してロシアは完全に混乱に陥っちゃいますw アレクサンドル・ケレンスキーが指導する2月革命が発生し1917年3月2日ニコライ2世はプスコフで退位させられ8月に皇后と5人の子供達とともにシベリアのトボリスクに流されるんですwさらにボルシェビキによる十月革命が発生しケレンスキー政権が倒されるとエカテリンブルクへ移されイパチェフ館に監禁されるんですw レーニンの命令を受けたチェーカー次席のヤコフ・ユロフスキー率いる処刑隊により1918年7月16日に皇帝一家はイパチェフ館の地下室で全員銃殺されて近くの村に埋められちゃうんです(ロシア革命)…
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19世紀初頭に神聖ローマ帝国はナポレオン・ボナパルトの攻勢に屈して完全に解体し ハプスブルク家のフランツ2世(オーストリア皇帝としてはフランツ1世)は1806年に退位します! 一方フランツは1804年にナポレオンがフランス皇帝として即位したのを受けて オーストリア皇帝に即位していた為オーストリアの帝室として存続するんですw そしてナポレオン1世追放後の欧州においてウィーン体制護持の神聖同盟の一角として地位を保持し ドイツ連邦内においても優位を保っていたんですw しかしクリミア戦争でロシア帝国と敵対し神聖同盟は事実上崩壊し 1859年にはサルディニアに敗北しロンバルディアを失い 1866年の普墺戦争で大敗を喫しドイツ連邦から追放と国際的地位を低下させちゃうんです! 国内でも多民族国家であることから諸民族が自治を求めて立ち上がり 皇帝フランツ・ヨーゼフ1世も妥協しドイツ人とハンガリー人を指導的地位にし 帝国をオーストリア帝国とハンガリー王国とに二分して同じ君主を仰ぐ二重帝国に改編し 1867年にオーストリア・ハンガリー帝国となっちゃうんです!! それでも以後民族問題は深刻を深めていくんですねw 1908年ボスニア・ヘルツェゴヴィナ両州を占領したことから それまで燻っていた大セルビア主義が高揚しロシアとの関係も悪化! そして1914年皇位継承者フランツ・フェルディナント大公夫妻が ボスニアの州都サラエボでセルビア人青年に銃殺されるという「サラエボ事件」がきっかけとなって オーストリアのセルビアへの宣戦から欧州全土を恐怖のどん底に陥れる第一次世界大戦が始まるんです! 画像は今も残るサラエボ事件が起こった『プリンツィップ橋』ですw 長引く戦争やロシアのレーニン政府の戦線離脱など色々な要因が重なり 連合軍側は当初のハプスブルク帝国を解体しないという見解を踏み越えて チェコに独立を約束してしちゃいます!! 帝国内の民族も続々と独立し盟邦ハンガリーさえもオーストリアとの完全分立を宣言し ドイツ革命でドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が退位しハプスブルクの最後の皇帝カール1世も亡命! 中欧に650年間君臨した帝国は1918年に崩壊しちゃうんです… その後ハプスブルク家はオーストリアへの入国を禁止されてますw 1961年に至ってカール1世の長男オットー・フォン・ハプスブルクは
オーストリア帝位継承権と旧帝室財産の請求権を放棄してオーストリア共和国に忠誠の宣誓を行い オーストリアにやっと帰国したんですよ! ハプスブルク家は現在でもオットーやその息子のカールが欧州議会の議員となるなど 政治活動を活発に行っています! |
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