ナポレオン・ボナパルトはフランスの軍人・政治家
フランス第一帝政の皇帝ナポレオン1世その人です!
天才的な軍事・政治的才能を元にフランス革命後のフランスを制圧しフランスに帝政を敷きナポレオン戦争と呼ばれる戦争で全ヨーロッパを席巻するけど敗北してヨーロッパの秩序はウィーン体制に求められちゃうんですw当時のイギリス首相ウィリアム・ピットは 「革命騒ぎの宝くじを最後に引き当てた男」とナポレオンを評してますw
1769年8月15日コルシカ島アジャクシオってとこで父カルロ・マリア・ブオナパルテ(仏名シャルル・マリ・ボナパルト)と母マリア・レティツィアの間に8人兄弟の2番目として生まれてますw出生時の名前はナブリオーネ・ブオナパルテって言います!ブオナパルテ家はロンバルディア州に起源を持つ古い地主の家系で父は判事をしてたけどコルシカ独立闘争の折にはパオリの副官を努めてますw後にフランス側に転向しこの事で貴族の資格を得てます!姓をブオナパルテからフランス風のボナパルトに名をナポレオンと改称するのはフランスで出世し始めてからなんですよ!
幼年期に父カルロと兄ジュゼッペ(仏名ジョゼフ)とともに渡仏してますw子供時代のナポレオンは読書に明け暮れて特にプルタルコス著『英雄伝』に傾倒し大人しい性格だったんです!初めは修道院学校に入るけどすぐに辞めて国費で1779年にブリエンヌ陸軍幼年学校に入学し1784年にパリの陸軍士官学校に入学してます!この頃数学は抜群の成績でしやけど全体としてはあまり優秀じゃなくて卒業試験の成績はなんと58人中42位だったみたいですwこの時期のエピソードとしてクラスでやった雪合戦の際ナポレオンの見事な指揮と陣地構築で快勝したという話があるんですよ!
1785年に砲兵士官に任官してバスティーユ牢獄陥落の報に接してナポレオン自身もフランス革命に参加しジャコバン派を支持する小冊子を出して逮捕されちゃってます!1792年にコルシカに帰郷してアジャクシオの国民衛兵隊中佐となるけど当然フランス王党派と繋がりのあるパオリと亀裂が生じてパオリの腹心でナポレオンの縁戚関係にあるボルゴらによってブオナパルテ家弾劾決議を下されて一家で追放に近い逃避行によってマルセイユに移住してます…この頃マルセイユの裕福な商家であるクラリー家と親しくなって兄ジョゼフはクラリー家のマリー・ジュリーと結婚してナポレオンもマリー・ジュリーの妹デジレ・クラリーと恋仲となり婚約なんかしちゃってます!!
その後大佐に昇進して1793年末イギリス艦隊に占拠されたトゥーロン攻略作戦にて功績を挙げて少将・旅団長に出世してます!翌年に革命政府ではロベスピエールがテルミドールのクーデターで失脚して処刑されてナポレオンもその弟のオーギュスタンと繋がりがあった為に投獄されてます…いわゆるトバッチリですね…だけど釈放後に総裁政府の総裁ポール・バラスによって登用され1795年のパリに於ける王党派の蜂起(ヴァンデミエールの反乱)を首都の市街地で大砲(然も広範囲に被害が及ぶ散弾)を撃つという大胆な戦法であっさり鎮圧しちゃったことで師団長となり「ヴァンデミエール将軍」の異名をとってます!翌年デジレ・クラリーとの婚約を破棄して貴族の未亡人でバラスの愛人でもあったジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚しちゃいます!
同年にイタリア遠征の指揮官に任命されてこの戦役において総裁政府はドイツ側から2軍・イタリア側から1軍をもってオーストリアを包囲攻略する作戦を企図してナポレオンはこの内のイタリア側からの軍を任されてますwドイツ側からの軍がオーストリア軍の抵抗に頓挫したのに対しナポレオン軍は連戦連勝を繰り返しミラノから1794年4月にウィーンに迫り10月に城下の盟(カンポ・フォルミオの和約)を誓わせちゃうんです!ナポレオン戦争の始まりはこのイタリア遠征からとする事多いです!
|