『母を訪ねて3000円』

歴史って見る角度を変えると面白いかもよぉ♪『最後』に拘る♪

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袁世凱

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袁世凱は中国の清末から民国初期の軍人・中華民国大総統

更に幻の『中華帝国』最初にして最後の皇帝w

1859年8月20日生まれで河南省項城県の出身です!!
袁の生家は官僚や軍人を多く輩出した地元でも“指折りの名族”であったんですよw
清朝末期の軍人として陸軍の近代化を進める役割を担いつつ台頭し彼自身が作り上げた軍事力を
背景に政治的にも大きな権力を振るって欧米諸国では彼の事を「ストロング・マン」と呼んだんですw
後ろ盾西太后の死により一時失脚するけど辛亥革命の混乱の中で清政府孫文らの革命派
間で巧みに遊泳し結果中華民国大総統となり孫文等の革命派を弾圧するとともに
インフラ整備や軍備の充実などの面から国家の近代化に当たったんですよ!!

家族構成は妻妾8人子女15人…………子息のうち政務を執る袁世凱の傍らにあって
辛亥革命や袁の皇帝就任等において数々の策謀を巡らせたとされる袁克定は彼の長男ですw

1915年まず袁は帝政復活を宣言しちゃうんですよ!

翌年1月1日年号を洪憲と定め国号を「中華帝国」に改めることを宣言しちゃうんですね…

こうした袁の行動は自らの野望を果たすためという面もあるけど四分五裂した中華を束ねるためには
強力な立憲君主制が必要との考えだったという見方が日本の学者では多いんですよね…
袁の政治に対する考えは一貫しており中央の元首が強権を振るうことで初めて麻のように
乱れた中国はまとまり得るというものであったんですけど……
こうした発想は当時の対中国観の主流であり実は孫文などもそう考えてたみたいなんです…

               http://www.okinawatimes.co.jp/spe/gif/kaizu20020925_1.jpg 国民政府総統府(天王府)跡

でも結果は全く袁の予想と反するものだったんですよ…
北京では学生らが批判のデモを行い地方の軍閥はこれを口実に次々と反旗を翻してくんです…
彼の足元の北洋軍閥の諸将迄もが公然と反発し袁を批判しちゃうんです…
さらには当初傍観していた日本政府が帝政宣言の受けの悪さを見て取るや厳しく非難を始めたんです!

結局袁は1916年3月22日に慌てて帝政復活の取り消しを宣言したんですよ…

80日余りで「皇帝退位」に追い込まれちゃって「中華帝国」も消滅しちゃうんです…

でも一度失墜した権威は戻らず同年6月6日失意の中で病死…享年57歳…死因は尿毒症らしぃ

袁の死後に元部下であった張勲・馮国璋・徐世昌・段祺瑞などが相次いで政権につくけど
いずれも一国をまとめる力を持ってないから各地方を根拠とする軍閥割拠の時代に突入しちゃいます…
蒋介石北伐が終了する迄の10年余りこの状況が続くことになるんですよ…
現代中国では政治的な意図もあって袁は悪役・漢奸のレッテルまで貼られてるんですよw中国共産党が称揚する孫文らを弾圧した事や日本の21ヶ条要求に屈した事そして時代に逆行して皇帝を名乗ろうとした事は中国共産党の作る歴史観からすれば明らかに悪役で当分はこの評価もやむを得ないんでしょうね…台湾においても革命で打ち立てられた共和制中国を乱した人物としてとっても低く評価されてるんです!日本でもその反復常無き行動から袁の受けは本当に悪いんですよね…でも時代の流れを敏感に察知して近代化を行いつつも伝統的な価値観を引きずって生きた袁自体を掘り下げ再評価する事は当時の再検証に大きく益するものじゃないかなってまるこは思いました!!

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