トグス・テムルは18代目モンゴルの大ハーン
モンゴル語の尊号はウスハル・ハーンw
即位当時に立てた元号から天元帝と言われることもあんです!
北元時代3番目の君主でクビライ以来続いてた元朝の王統出身の最後のハーンです!!
前ハーンのアユルシリダラの弟とも子とも言われてて
1378年アユルシリダラの死とともにハーンに即位し天元と改元したんですよw
トグス・テムルが即位した時は元を北に追いやった明はそれでもせいぜい江南に加えて華北と
高原の南辺を抑えただけでまだ依然として精強な北元の勢力は明と充分に戦える状況にあったんですw
当時の北元の支配領域は東西は中国東北(満州)からモンゴル高原のほとんど全土を保持してて
然も中国の甘粛や雲南にはモンゴルの王族や貴族が残留して明と対峙していたんです…
1387年トグス・テムルは東北方面に勢力を持つジャライル部のナガチュが明の北伐を
受けて窮地に陥ったのを受け東方に向かって遠征を行ったんです…
でもナガチュは明に降伏してしまっちゃってトグス・テムルも翌年に
ホロンボイル地方ブイル・ノールで明の将軍藍玉と戦って大敗しちゃいます…
この戦いで北元はトグス・テムルの皇后をはじめ8万人と言われる多数の軍民を
捕虜とされてほとんど壊滅しちゃっているんですよぉ……
トグス・テムルは カラコルムを目指して落ち延びたけど途中で高原西部に勢力を
持つ 王族イェスデルの襲撃を受け残軍もほとんど壊滅しちゃうんですよ!!!
トグス・テムルはわずか16騎とともに辛くも逃げ延びたんだけど大雪に阻まれて
カラコルムにたどり着けないでいるうちにイェスデルの軍に追いつかれて捕らえられて
1388年ついに殺害されちゃうんですぅ…………
トグス・テムルには2人の男子がいたけど長男 天保奴は父とともに殺害されてます……
ブイル・ノールで捕虜となった次男 地保奴は明によって 琉球に流されちゃってます……
北元のクビライ王統はここに断絶しちゃうんです……
トグス・テムルを殺害したイェスデルは自らハーンに即位するけど
その王統は長続きせずこれよりモンゴルは長い混乱期に入る事になるんですね・・・
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