土御門晴雄は幕末の公卿で土御門家陰陽道の事実上の最後の当主
『陰陽師』で有名な安倍晴明の末裔なんですよw
文政10年6月5日(1827年6月28日)に陰陽頭土御門晴親の子として誕生しますw
家禄はたった183石だったんですよ……
天保4年(1833年)に6歳で従五位上に叙されます!!
天保13年(1842年)に15歳で陰陽頭となるんですよ!!
安政2年(1855年)には28歳で正四位下となります!!
安政5年(1858年)の廷臣八十八卿列参事件に参加しちゃいます……
安政6年(1859年)には民部卿に転じて元治元年(1860年)には従三位となりますw
慶応4年(1868年)鳥羽・伏見の戦いがおこり戊辰戦争が勃発しますw
江戸幕府が崩壊すると新政府に働きかけて旧幕府の天文方を廃止に追い込んじゃいます!!
そんで編暦・頒暦といった暦の権限だけじゃなくて測量・天文などの管轄権を陰陽寮が
掌握する事に晴雄は成功するんですよw
でも当時新政府中では「富国強兵」や「殖産興業」に直接つながらない「天文学」や「暦法」への
関心が極端に低かったんですよ……
そんでもって洋学者の間で高まりつつあった「太陽暦導入」に反対してるんです!!
天保暦を改暦して「太陰太陽暦」の継続を図るように提案したりもしてるんです!!
でも…今度は逆に新政府の関心の低さが災いして改暦は見送られる事になっちゃいます…
晴雄はなおも改暦を要求したが病に倒れちゃうんですよ……
明治2年10月6日(1869年11月9日)に享年43歳で死去しました…
後を継いだ嫡男晴栄はまだ幼くて更に新政府内部でも陸海軍の円滑な運営に欠かせない
天文や測量が古い陰陽寮に縛られる事への危惧や非科学的な陰陽道が日本の近代科学導入の
障害になる事が指摘されるようになっちゃうんですよ……
明治3年(1870年)新政府はついに陰陽寮の解体を断行しちゃいます!
陰陽道の公的分野からの排除が行われ天文や暦算分野も海軍・大学・天文台に移管されます!
明治17年(1884年)の華族令施行により嫡男晴栄は子爵に叙されます!
大正4年(1915年)嫡男晴栄は土御門家保有の天文記録や当主の日記を宮内省に献上しますw
その多くが現在でも宮内庁書陵部に保管されているんですよ!!
阿倍氏(後に安倍氏)は古代日本の豪族に由来する貴族の氏のひとつで孝元天皇の皇子大彦命を祖先とする皇別氏族なんです!!飛鳥時代から奈良時代に大臣級の高官を輩出したりもしてるんですよw平安時代以後は「安倍氏」と称して「安倍晴明(下画像)」以後は陰陽師の家系として知られるようになったんですw室町時代の陰陽師安倍有世(晴明の14代目の子孫)の末裔が「土御門家」名乗ったといわれてます!!実際には室町時代中期の以後の南北朝時代から当時の当主安倍有宣から名乗ったともいわれてます!!
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